スティルマイン -4ページ目

ばあちゃんワズマイン5

人生が瞬間瞬間の選択でできあがっているのは言うまでもない。Aを選んだから、Bでなかった。


ばあちゃんは、祖父の後妻として遠方からやってきた。クリスチャンなばあちゃんは結婚を境に信仰を完璧に隠した。ほぼ無宗教な家柄の中、ばあちゃんはこっそり何をどうウマくやっていたのだろうかと改めて思う。

ばあちゃんは幼い私を可愛がってくれ、私は増長できた。纏わり付き甘えったれることができ、「愛されちゃっていいのだ」と自信が持てた。
実家には産まれたての私の写真があり、その中の私(とても可愛らしい)はばあちゃんに抱っこされている。自分の子どもが居ないばあちゃんにとって、私は初孫である以上に初赤ちゃんだったのだと後年理解した。そして成人後に帰省したある日、ばあちゃんから「ほんとはね」と隠されていた信心についてこっそり教えられ、酷く驚いた。親戚の殆どがこのことを知らないと思う。私もすっかり「ナンマンダ」なばあちゃんだと思っていた。


ばあちゃんが死んだとき、やって来た寺の坊主は「ばあちゃんの血と思いは皆に伝わっていく」といったありがたいことを言った。私はどうにも面白くなく、和やかな通夜の席で「ばあちゃんは誰とも血が繋がっていない、あの坊主はインチキだ」と一人泣いた。子供連中は「兄ちゃんどうした」とドン引いた。荒れる私に叔父は「血は関係ない」と叱ったが、それは本当なのか。
家族としてばあちゃんと関わり続けた叔父に対し、私は立場的に弱かった。悔しく、泣きながら叔父に絡み続ける私は他の大人連中から「まあまあ」と窘められた。面白くないまま酔い潰れ、そのままばあちゃんのそばに放置された。




死んでから大分経った。ばあちゃんは隠れキリシタンであったが、ナンマンダな墓に入ることには納得していたようだ。
ばあちゃんの墓は叔父の家から車で10分ほどにある小さい山を登り、向こう側へ下りかけた中腹の墓地にある。私は相変わらず単調な日常を送り、墓参りに行かない選択をしている。私は、どんどん歳を取っていく。滅多に帰省することはない。

ばあちゃんを思いながらぽつねんと酒を飲むのも選択だ。こんな感じで過去をフラフラするのもただ生きていることもそうであり、昨日「死なない」と選択したからに過ぎない(「遍在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きていくのだ」)。一人でいることを選択し、自分の都合でばあちゃんを思い出し、今日のように無駄に泥酔する。血とは何だと思う。


厳格だった祖父は亡くなる直前、意識が朦朧となりながら「お母さん、お母さん」とばあちゃんを求めた。前妻の死後ばあちゃんを選んだその選択は大きな跳躍であり、以降の人生を決定したと思う。本人の自覚は関係ない。
過去に存在した選択肢は振り返られたときに見出され、そこから「選ばなかった未来」が想像されるのみであり、現在の私はただ無駄に、本当に無駄にただ胸を痛めているのだと思う。これはばあちゃんとは関係ない話だ。でもばあちゃんに会いたいと思う。


ばあちゃんワズマイン おわり



追記
言い過ぎたと思う。

ばあちゃんワズマイン4

ある二十歳を過ぎた夏、帰省した私をばあちゃんは連れ出した。二人で出かけるのは子供の頃以来であり、積極的なばあちゃんに驚いた。
ばあちゃんは私をタクシーに乗せ、繁華街(だがしかししょぼい)へと走らせた。馴染のレストランに行きたいのだという。

タクシーに乗り込むとばあちゃんは後部座席から小さい体を乗り出し「東京から孫が帰ってきまして」と嬉しそうに語り始める。運転手も田舎の方言で「そりゃ良かったですねえ」と返してくれるのだがばあちゃんはテンションがイチ抜けノンストップ、「こないだは…」「最近は…」などと語り続ける。運転手は一生懸命「そりゃあそりゃあ」と返してくれる。捲くし立てる一方通行婆の背後から、私は「ばあちゃん耳が遠いんです」と運転手に教えた。


ばあちゃんは二十歳前後まで耳が聞こえていたためしゃべることはできた。私は幼い頃から、「おばあちゃんと話すときは大きく口を開けて話しなさい」と教わった。ばあちゃんは相手の口の動きを見ながら自分の口を模倣させ、相手が何を言っているのかをほぼ正確に理解した。

幼い頃、大きく口を開けながらも声を出さない「口パク」でばあちゃんと会話をしていると「失礼だ」と叔父に怒られた。「どうせ聞こえない」と返す私に、叔父は更に怒った。また別の日何か面白くないことがあり、テレビを見ているばあちゃんの背後から「どうせ耳が聞こえないのに」と悪態をつく私を怒鳴りつけ正座させ、説教したのも叔父だった。叔父は正解だった、しかし今の私だったら当時の自分をぶん殴っていると思う。


レストランはとても小さく、流行っていない喫茶店のようなところだった。二人で同じ「豚のしょうが焼き定食」を注文した。ばあちゃんは当たり前のように豚肉の殆どを私の皿へ移し、私は全て平らげた。ばあちゃんはおちょぼ口で長々と食べながら、このレストランについてのささやかな思い出話を聞かせてくれた。

食べ終わるとばあちゃんはいつもどおり小さく手を合わせ「ご馳走様でした」と言い、支払いは任せろと言わんばかりに会計に向かった。金を払いながらレジの女性に「先日はどうも」や「孫が帰ってきているんです」と常連よろしく親しげに語りかける。ニコニコするばあちゃんに女性はそっけない態度をとり、私は悲しく思った。横から「帰りはバスで帰ろう」と大きい声で言うとばあちゃんは「行こうね」とほんのり嬉しそうに思えた。

駅前に出るもバスは恐ろしいほどやって来ない。ばあちゃんと二人で日陰になるベンチに座り、鳩なんぞを数え始める。時刻表を見る。まだ来ない。座る。思い出話をする。絵の話をする。時刻表を見る。暑い中、随分長いことバスを待った。


ばあちゃんは私とレストランで食事したことを家族に隠したがった。私は了承し、叔父夫婦にはただ「街まで買い物に行き、適当に食べた」と報告した。
幼い私を正座させた叔父はいつしかばあちゃんを疎むようになり、叔母とその子供たちもそれに倣った。ばあちゃんは、その家の一番奥の部屋にひっそりと棲息した。私のばあちゃんは、どんどんしわしわになり、どんどん小さくなった。私がデートしたのはその頃のばあちゃんだった。



ばあちゃんワズマイン3

私が小学校高学年の頃、ばあちゃんが我が家に滞在していたことがある。数ヶ月は居た。その夏の私はばあちゃんを心の友のように連れ回した。確か、連れ回したように思う。


近所の公園に行った。そこには大き目の池があり、おたまじゃくしがたくさん居た。きっと収穫の時期だった、私とばあちゃんはおたまじゃくしを採りまくった。小さい水槽の中でうじゃうじゃするおたまじゃくしを二人で「可愛いね」と眺めた。今の私なら吐けると思う。
おたまじゃくしたちはカエルになる前に全滅した。多分、ばあちゃんが大雑把に餌を与え過ぎた。

敏捷なばあちゃんは児童館のボール遊びでその存在が光った。私はばあちゃんを恥ずかしく思いながら自慢もしたい微妙な心境だった。子供らはばあちゃんのことを訝しげに見ていたが、ドッチボールでテクい外野として活躍するばあちゃんは受け入れられ、私はこそばゆかった。ばあちゃんは「子供の頃ボール遊びで一番だった」と言った。ばあちゃんの子供の頃にボールがあったのか、と私は驚いた。

ばあちゃんは学校の課題で描いた私の絵を欲しがった。我ながら「どうしちゃったの」という絵だったが、不思議とばあちゃんは固執した。その絵は長い間ばあちゃんの部屋に飾られることになり、帰省の度に話題に上った。

二人でしょっちゅう近所のスーパーに行った。小さいペットコーナーで売られているカメを並んで眺めた。
私は常日頃からカメを飼いたかったのだが、母親は許さなかった。買ってくれるであろうばあちゃんにせがむのはズルイと思い、私は我慢した。食材を買いにスーパーに行く度、ばあちゃんと二人で何度もカメを訪れた。


その頃私の母親は入院しており、「ばあちゃんがお母さんになるのだろうか」とさえ思っていた。ばあちゃんに懐くことに罪悪感を感じつつ、子供なりに「これが現実なのだ」といった感覚でばあちゃんとの生活を送った。



嘘つき

親戚の坊主(2歳位)は、どうやら嘘つきなようだ。彼の母親によると、注目される快感を学習したのだそうな。

先日私が一緒に居るときも彼は「イテ、イテ」とやっていた。自分の後ろを指差し「あの段差のせいで私は」と周りの大人に訴えている。
私は素直に驚き「ぶつかったかなんかしたようだ」と母親に報告したのだが、彼女は簡単な確認後に「またアンタ! 嘘つかないの!」と一喝する。すると彼はギャーと泣き、「ごめんなさい」のポーズをし、母親にすがりつく。

この一連のコントを見た私は酷く驚いた。
――あんな小さいのが、嘘をつくのか。人間は嘘つきな訳だ。


その昔、女性に年齢を偽られたことがある。何回か会った後、「ごめんね」と中々ご立派な年上であることを告白されたが、その時の私は「年齢なんてダズンマタ! ピース!」てなもんであまり気にしなかった(ストライクゾーンは広い。どうだ)。
しかしただ、「嘘をつかれた」という距離感だけが残った。


嘘は距離を生むのだと思う。人との距離感に自信を持ちきれない私にとって、一度生まれてしまった距離はなかなかどうにも消し去れない。

だから私は、ストライクゾーンが広いながらも「嘘をつかない女性がタイプです」と常日頃から公言している。該当する方がいたらどうか元気良く手を挙げて欲しいと思う。金麦のお姉さんが演じている「武士の一分」の奥さんみたいな方に手を挙げて欲しいと思う。



age

早く家路についた夕方、「お前何歳なんだよ!! 聞いてんのかよこのやろう!」と小学生低学年のチビ二人が取っ組み合っていた。子供とは言え取っ組み合いの喧嘩は久しぶりに遭遇したもので、思わず見とれてしまった。「クローズ・ゼロ」かと思った。しかし「何歳なんだよ!!」て。
二人ともテンションが上がり過ぎ、遠くからだとちょっと何言ってるのか分からなくなって来たので「コレコレ、どうかひとつ」と止めに入ろうと足を向けたら二人とも猛スピードで走り出し、追いつけない私はポカンとしたまま帰宅した。


とうに悲しみが汚れつちまっている私は「誕生日おめでとう!」と言われる度に「いやーもう目出度いトシじゃないよ(笑)」と返すお決まりのやり取りの不毛さに疲れ果てている。歳を重ねることそれすなわち成長ではなく老化であると覚悟を決めている私には今日も風さへ吹きすぎるのである。
草食系男子が抱えるこの種の切なさを理解していただこうと私の気持ちを女性に訴えても「そんなことを言っているからモテないんだよ」と説教され、小雪のかかつて縮こまっているのだ。良く分からないが、そんな感じだ。


小学生当時は1歳の違いがそらもうえらい大事だったのだろうなあと今になって思い出す。あのチビたちと同じ歳の頃、私は1歳上のチンピラ小学生にボコボコにされた経験があるのだ。1歳の違いは、そらもう圧倒的だった。
リンチ当日、私はいつもどおり可愛い女子二人をはべらし、公園で仲良く遊んでいた(人生で一番のモテ期だったことは疑いようがない、当時は肉食系だったのかもしれない)。その女子二人の眼前で、「しょっちゅう女子と一緒にいる」という理由のみで私は泣かされたのだ。理不尽な暴力を受け、「モテ期なのに女子の前で泣かされる」というかつてない辱めに遭い、私の靴とプライドはズタズタにされた。今の私だったらきっと勝てると思う。

「聞いてんのかよこのやろう!」――こんな熱さもなくなり、なすところもなく日が暮れる私はせいぜい「お前何歳なんだよ!!」と年下のクセに私に生意気なクチをたたく同僚に言ってみようと思う。今度は年下に泣かされると思う。私はやはり、いたいたしくも怖気づくのだと思う。



モラトリアムⅢ

この「なんとかしなければ」感を誤魔化すのに、ブログとはなんと便利なのか。私は「なんとかしなければ」と思い始めると、ブログを書き始めるようだ。「なんとかした」と「なんかした」を履き違えているのだと思う。


そして、焦りを抱えたまま「宝くじを買おう」と思い立った。スムースに「当たれば人生デラックス!」だと思ったからだ。

同僚に私の思いを伝え、「ところで宝くじってどうやって買うの」と聞いたら噴出された。買ったことないのは恥ずかしいようだ。

後日宝くじ売り場に行き、ドキドキしながらおばちゃんに「宝くじちょうだい!」と言ったら「どれを買いますか?」という想定外な返答を受け、「そうか、そういえば宝くじには種類があるよな、スクラッチとかかな」と思い、「一番デカいやつを!」と説明し、同僚に教えて貰ったとおり「バラで10枚ちょうだい!」て言った。するとようやく(予め用意してあったらしい)セットをひとつ差し出された。
三千円払い、受け取った。なんだかバラじゃないような気がし、中を確認したらちゃんとバラだった。


――2億円か。どうしよう。世界一周でも行っておいた方が良いかもしれない。仕事は、辞めよう。



三千円当たり、振り出しに戻った。これを元手にもう一度デラックスにチャレンジしようとも思うが「三千円返してやるからもう止めとけ」と言われたような気もする。デラックスな人生にはそう簡単にたどり着けないのだと思う。




抱っこ

子供を抱く機会があった。彼は2歳弱、頭が妙にでかい坊主だ。
幼い頃の私もそうだった。彼は当然私の子ではないが、私とは血が繋がっている。やはり、少しは私に似ておるようだ。

しかし、彼は私に懐かない。私にビビっている。
――はっは、そんなに私が怖いかね。そう、私は厳しいぞ。お前を、赤ちゃんだからといって甘やかさないんだぞ。どうだ、怖いだろう。

そんな私もまた、彼にビビっている――


そこらへん歩いてる子供のハートはニン一発で大概ゲットできると自負している私だ。しかし彼のことはどう扱って良いのか良く分からず、二人の間にはいつも微妙な空気が流れている。

会う度に彼は私を警戒し、私を観察する。
私も彼を観察する。お互い触れることはない。

そして目が合うと両者とも笑顔が消える。そんな関係だ。


先日の彼はテンションがイチ抜けており、母親にまとわりつきながらウキャーと家中を走り回っていた。本当にやかましい。
その時の私は彼の家のリビングでくつろぎ、彼の存在を後ろに聞きながらビールを飲んでいた。

――静かにしてくれないか。今ワニのゲーナが歌を歌うところじゃないか。幼いお前こそが見るべきシーンだ。



ふと玄関のドアが開き、バタンと閉じた。彼の母親がゴミ出しかなんかで出て行ったようだ。
急に自分の目の前から母親が居なくなったことに多大なショックを受けたであろう彼は、ンギャーと大声で泣き出した。

当然独身な(当然?)私の日常にはないシーンだが「まあいつものことなのだろう」と気にせず、私はトイレに行こうと立ち上がった。5メートル先に居る彼はその私に気づいた。
彼はギャーと泣きながらヨチヨチと私に近づいて来、両手を上げ、私に抱っこをせがんだ。



彼がもっと小さい時は何回も抱っこを経験している。他の子より早く登場して来た彼はもの凄く小さかった。
彼はなかなかうんちが出なかった。手を握り合いながら、「ンーー」と二人でいきんだこともある。

彼の目が開き、人間らしくなると、私たちの間に微妙な距離が生まれた。彼の周りには常に誰か居たし、私が抱く必要はなかった。だから私は、彼の家に行っても彼を抱くことがなくなった。
本当は、私も彼を抱っこしたかった。しかし、泣かれるのが怖かった。



母親に見捨てられた彼はすがりついて来、私に「孤独とはこれ程にも辛いのだ」と訴えた。
彼を抱え上げ、久しぶりに抱っこをした。彼を最後に抱いたのは、随分前だ。だから随分、重くなっていた。

ギャーと泣き続ける彼を抱き上げ、私も泣きそうだった。良く分からない二人で互いを慰めた。泣き過ぎた彼は「オエッ」としていた。

彼の母親は当然すぐに戻って来たのだが、彼はそれに気づかず、私と抱きしめ合っていた。
彼同様私と濃い血で繋がっている彼の母親は普段触れ合うことのない私たちを見、嬉しそうに笑った。



いつか、私は死ぬのだろう。きっと彼は私の葬式に居るだろう。泣いているだろうか。
何らかの事故により彼の家族が居なくなったら、私が彼を育てることになるのだろうか。万一のときに備え、私は急いでしっかりしておかねばならないのだろうか。

私は泣き続ける彼を母親に引き渡した――彼女の方が私より上手に抱っこできるし。私はそんなに彼を可愛がっていないし。彼女は母親であり、私は彼の父親ではないし。私は単に、「怖い親戚のおっさん」だし。私は子供、そんなに好きじゃないし…


「全身で泣く子はこんなにも熱を持つのか」と初めて知った。
きっと彼は私との抱擁を忘れてしまうだろう。覚えているには幼過ぎるし、彼にとってはインパクトが少な過ぎる。どうせまたすぐに観察し合う仲に戻る。


その後の私は、あの瞬間、彼が泣きながら手を伸ばし私にヨチヨチ近づいてきた瞬間を一人何度も反芻している。今も当然一人で(当然?)酒を飲み、これを書きながら、彼の熱さを反芻している。嬉しかったのだと思う。
そして当然、早く嫁が来ないかと思う。辛抱強く、待とうと思う。草食系男子(男子?)なのだと思う。


これも夢

ある人の「夢は絶対になくしたくない」といった言葉を目にし、その文脈はさておき「私にとっての夢とはなんであろうか」と考えてみたところ、ふと田舎の電車が思い浮かんだ。

その時の私は20代半ば、鈍行で親戚の家へ向かっていたところだった。旅行中、その地方で泊まりたい宿が無くなり、寂しくなっていた夜だった。


接続駅に着き、電車を乗り換える。出発まで時間があり、売店でビールを買った。

ホームに降りた。誰もいない。

時期は冬だったが私にとってはいつまでも続いてしまう夏休みのような、仕事も夢もあるんだかないんだか分からないような、なんだか所在無い時期だった。旅行を切り上げる必要もなく、しかし行くところもないし東京に帰りたくなかった。
基本モラトリアマーな私だ。しかしこんな旅行はおそらくもう2度とできない。その勢いで日本縦断でもしておけば良かったと今になって思う。


小さい暗い電車に乗り込み、ボックス席に座った。ここから4、50分くらいで親戚の家の最寄り駅に到着するだろう(そこから更にタクシーで20分かかる)。

座って気づいたが向かいの席にはきちゃない紙袋が置いてあった。ゴミだと思った。

電車が発車する寸前、チンピラ風の若者が私の目の前の席にどっかと座った。紙袋同様、きちゃない格好してる。
坊主頭、眉毛が薄い。私と同じ年くらいか。手にはビニール袋、中には缶ビール数本とツマミ。


電車の中には殆ど客がいない。ボックス席に二人で座っているのは居心地悪い。トモダチじゃないし。しかもなんだか二人して窓際に座ってしまった。膝が痒くなる。しかし席を移動するのも失礼に思えた。


向かい合いながら二人して黙々とビールを飲み始める。

電車が走り出すと本気の暗さ、山の真っ黒なシルエットが遠くに見える。その手前にはちらちら明かりがあり、家庭がある。家庭があるのだろうなあ、とぼんやり思った。


風景やら空気やら色んなモンが単調になってきたころ、私は「チンピラよ、話しかけてくれるな」と念じ始めていた。絶対会話は続かないし、弾まない。

果たして若者が私に話しかけてきた。「うわ来た!」と思いながらもなんとなく(おそらく二人とも)ホッとした。


「兄ちゃん、これ○○駅には何時に着く?」

――前歯が無い。溶けたの?

私は「ここのモンじゃないからわからない。旅行者だ」と答えた。すると若者は「そうか」と頷き、眉間にしわを寄せ、目を外に向けた。


(おそらく二人とも)ドキドキしていた。映画のワンシーンの中に放り込まれ、お互いが不慣れな役回りを引き受けてしまったような。
シチュエーションから何もかもが芝居がかっていた。「ここのモンじゃない」ってなんだ。


無言のまま二人でちびちびビールを飲みながら外を見続けた。お互いチラチラと気になりながらも、無言で気詰まりな状況に酔っていた。

走る鈍行、ビール飲みながら迷子な二人。世界の中でチンピラ(仮出所したて、オジキのところで再起を図る(という設定))と私、それぞれが一人ぼっちだった。


そのまま、何の会話も無いまま私が下車する駅に着いた。

思い切って「○○駅は次の次だから、あと20分くらいじゃないかな」と言うと、若者は「そうか、兄ちゃんありがと」とはにかんだ。もの凄くかわいくはにかんだ。

その瞬間、「ああ、やはり私はもっと何かをたくさん話したかったのだ、きっとトモダチになれたのだ」と気づいた。「お互いもっと違う役を演じれば良かったのか! 雰囲気に負けた!」と思った。


ホームに降り、出発した電車に向かって私はニンと手を振った。暗い表情のチンピラが私に気づき、旧友に会ったようにニカッとし(前歯が無い、溶けたの?)、こちらに手を振ってくれた。電車を見送り、私は親戚の家へ向かった。



以上が私の夢だ。あれは夢だったと思う。

現在の私は「楽になりてー!」と思いながらも夢を思えなくなるともっと深く苦しくなってしまうことを知っている。だから意志しておかなければと思う。落としどころの無い気持ちを落とさないよう、ゲロ吐きそうになりながらしばらくやってみようと思う。

祈る

ある朝母親が突然倒れ、救急車で運ばれた。「お母さんが死にそうです」と小学生の私が救急車を要請した。しばらくピーポーピーポーが怖かった。


倒れた原因は不明だったが症状から考えておそらく脳腫瘍、運ばれた病院前で「お母さんはもう助からないから」と言われた。

――おおミスター・ファーザー。残酷な。ボクはこんなにもボーイなのに。


様々な検査をし、母親は珍しい病気だったことが判明した。生き続けることが難しいと判断された。



私は、ただ祈ってみた。何に対して祈ったら良いのかわからなかったが、毎晩寝る前に手を合わせ、目を瞑って祈った。文句はこうだ。


 お母さんが長生きしますように、お母さんが幸せで健康でありますように


毎晩祈った。なんと、20歳まで毎晩祈った。
恋人が隣に寝ていてもこっそり祈った。我ながら気持ち悪いと思う。


祈るのを止めるのは怖かった。「自分の祈りが母親を生かしている」とでも思っていたように思う。止めたらぷっつりと息絶えてしまうんじゃないかと。

私が成人し、祈る習慣を止めてからしばらく経ち、母親に「いつ死んでもいいぞ、許可してやろう。これまでご苦労であった」といったことを言った。なんだか、二人で泣けた。


以前書いたことがあるような気もするが、祈りは通じるもんだと思う。色んなことを「ケッ」て思いながらも、実はこっそりそう思っている。

だから、私は久方ぶりに、あのひと、このひとの幸せを祈ってみようと思う。



母親は元気に生きながらえており、順調に老人へとエボリューションしている。
ここだから言えるが、やっぱり長生きして欲しいと思う。
認知症にエボリューションしてもいいぞ。許可してやろう。



モラトリアムⅡ

付き合いの無くなった知人をテレビや雑誌で見かけたりする。彼らは大概「アーティスト」的ニュアンスで出てくる。ジャンルは様々だ。

――ほう、アーティストか。アーティストて。アーティストよ、がんばっとるな。僕は悔しくなんかないぞ。精進したまえ。

最近もまたテレビを通した唐突な再会をし、こいつの場合は本当に驚いた。「な、なるほど、あれがこうして、こうなったのか!」といった感じだ――こいつもやはりアーティストか。


こんな感じでかつてつるんでいた人間の曲も耳にする昨今だ。求めずとも勝手に私の耳に飛び込んでくる。
今の私は夢の中でスマップになるくらいしかできない。そんなマインという名を暖めている昨今である。

しかしながら、暖めながらも「あいつらがアーティスってる中マインは何してんだ?」と問うたりする。「そもそもマインって何だっけ?(アイポッドは?)」とも思ったりする。思い出すことすらも減ってきているが、たまにスティルマインが強烈に懐かしくなる。


先日入った居酒屋では隣の客がブログやらアフィリエイトやらについて熱く語らっていた。

――ほう、ブログか。私も持っているぞ。「スティルマイン」ってゆうんだ。まだ生きてるぞ。

友人と語らいながらも私の耳はダンボ。隣の客の語らうブログ論に耳を傾けていた。
「アクセスを伸ばすにはヤフー登録とか…」なんて言ってる。ふふ。
「俺のブログはこないだ1日2千人来たけど紹介している商品買ったのは1人だったよ」なんて言ってる。

――私のブログのメインの客は、エロスな業者だ。



「なんとかしなければ」という切迫感は年齢に関係なくぶり返すものだと気付かされてしまった。最近のことだ。
眠れぬまま自分の現在に混乱し、夜中に(自分の)バイクで走り出した。飛行機的なものを志向し、とにかく羽田を目指した。「こりゃ結構かかるな」と近所のガソリンスタンドで我に返り、すぐ引き返した。それでも翌日の仕事に響いた。そんな年齢だ。