祈る | スティルマイン

祈る

ある朝母親が突然倒れ、救急車で運ばれた。「お母さんが死にそうです」と小学生の私が救急車を要請した。しばらくピーポーピーポーが怖かった。


倒れた原因は不明だったが症状から考えておそらく脳腫瘍、運ばれた病院前で「お母さんはもう助からないから」と言われた。

――おおミスター・ファーザー。残酷な。ボクはこんなにもボーイなのに。


様々な検査をし、母親は珍しい病気だったことが判明した。生き続けることが難しいと判断された。



私は、ただ祈ってみた。何に対して祈ったら良いのかわからなかったが、毎晩寝る前に手を合わせ、目を瞑って祈った。文句はこうだ。


 お母さんが長生きしますように、お母さんが幸せで健康でありますように


毎晩祈った。なんと、20歳まで毎晩祈った。
恋人が隣に寝ていてもこっそり祈った。我ながら気持ち悪いと思う。


祈るのを止めるのは怖かった。「自分の祈りが母親を生かしている」とでも思っていたように思う。止めたらぷっつりと息絶えてしまうんじゃないかと。

私が成人し、祈る習慣を止めてからしばらく経ち、母親に「いつ死んでもいいぞ、許可してやろう。これまでご苦労であった」といったことを言った。なんだか、二人で泣けた。


以前書いたことがあるような気もするが、祈りは通じるもんだと思う。色んなことを「ケッ」て思いながらも、実はこっそりそう思っている。

だから、私は久方ぶりに、あのひと、このひとの幸せを祈ってみようと思う。



母親は元気に生きながらえており、順調に老人へとエボリューションしている。
ここだから言えるが、やっぱり長生きして欲しいと思う。
認知症にエボリューションしてもいいぞ。許可してやろう。