スティルマイン -2ページ目

趣味

趣味が欲しい、そう思った私は「彫刻家になろう、でも作品は売らないでおこう。所詮趣味なんだから欲しいっていうひとが居たら格安で譲ればいいし、タダでも良いな、ボクの作品を好きだと思ってくれること自体がありがたいよな」と、デパートでピカピカしてる彫刻刀と、木材をひとつ買った。この木の中には、これから私が生み出す生命が宿っており、それを取り出すのが私の仕事なのだと思った。


家に帰り、木材に彫刻刀を刺そうとするも、刃が通らなかった。驚き、他の彫刻刀で削ろうとするも木はもの凄く硬く、「カリカリ」としかその周りを削れなかった。


以上が彫刻家への夢を諦めた理由だ。あの木のせいで、無趣味が続いているのだと思う。今年は趣味ができればと思う。






正義

最近、「アンパンマン」が気になる。「アンパンマンの気になり方100選」はこれまでの人生において把握しておるつもりだが、今はそのうちの「正義とは」という点において気になっておるようだ。

「正義」といえば「あんたはあんた、俺は俺! レッツ正義、さあ来い!」という、「ファースト・ガンダムはそこがイイんだよね!」になりそうだが、アンパンマンさんに関しては「自分の頭を喰わせます」といったところが気になるのである。


やなせたかしはインタビューでこのことに触れておるようだ。レッツ正義である戦争における唯一の正義はひもじい子どもにパンを分け与える行為であると。

ここでもなお、「パンを施しその子どもの生を存えさせる行為すらそもそも」とうんたらかんたらなのであろうが、私にはよく分からない。

よって「ボクは大きくなったらアンパンマンになりたい」と、大きくなってしまった今を上手に隠蔽したうえで小さい頃の私には思いもよらなかった新たな人生における決意のみを記し、ここは筆を置こうと思う。「頭を喰わせる」という物凄い自己犠牲にも負けずにありたいと思う。





相対性理論

最近の日曜日、私はおとなしい。月曜日を誤魔化そうと軽く飲みに出る夜もあるが、日中の外出はせいぜい近所のスーパー。「あ、ニラが安い。ハッピー。」で済んでしまう休日だ。


――天気の良い休日、ニラが安くてハッピー。これは、アンハッピーではないか。



自身のアンハッピー性を自覚した私は、久方ぶりに街へ繰り出すことにした。街に特段用事は無い。

「まだ行けんじゃねえか」という程度のお洒落をし、電車に乗る。街に着き、ギャラリーや懐かしい店、書店を巡り、カフェでビールを飲みながら一服。購入した写真集を眺める。

煙草をくゆらしながら、ふと、ガラスに映る自分と目が合う。――まだ行けんじゃねえか。


その安堵を抱き、電車に乗り、自宅の最寄り駅へ到着。駅前のスーパーに寄るもニラを買うのを忘れる(ニラが好きです)。
家に到着。やきそばを作る。ニラは入っていないが、美味い。


写真集はその後一度も開いていない。来週の日曜日はニラを買いに近所のスーパーに行くのだと思う。



everything I do is a balloon

普段、高速道路を走ることはない。車に、普段乗らないからだ。

タマに高速道路を走ると、ドキドキしますな。合流でぐわーってスピード上げるところなぞ、カオでは「冷静ですよ」を装いながらも内心「トンデモねえ、いいのかしら」と不安になる。私のようなちっぽけな存在がコントロールして良いスピードがこれほどまでで良いのかと感じる。分不相応な行為に思えてしまう。

昔、車はスピードを上げ過ぎると「分不相応ですよ」つって「キンコーン キンコーン」と教えてくれた。高速道路を走ることが多かったのだろうか、幼い頃乗せられていた車はしょっちゅう「キンコーン」と鳴っていた。
どんな状況だったのかは覚えていない。しかし、「キンコーン」のかもし出すあの緊張感は独特だった。


最近の車は「キンコーン」と鳴らない。高速道路を普段走ることはないが(普段車に乗らないからだ)、日常での「キンコーン」が欲しく思う。「キンコーン」と鳴るから安心して「キンコーン」を無視できるのだと思う。




優しさについて

風邪を引いて、寝込んでいます。夏風邪だからでしょうか、とても辛いです。まさしく「咳をしても一人」、看てくれるひともおらず、独りで寝込んでいると、辛さは倍増するものです。


昨晩、飲みの約束をしていた後輩に、「風邪を引いて寝込んでいる、俺キャンセルな」とメールを送りましたところ、「了解しました!^□^」と返信が来、しばらくして「風邪には野菜をたっぷり入れたリゾットが良いです! あと良質なタンパクを…、ビタミンCは…、」といった、「ボクのオススメ栄養満点レシピ」を山ほど送ってきやがりました。

微笑ましくもある、この種の無邪気な善意は、普段の私でしたら「サンキュー! お前も夏風邪、気をつけるんだゾ!^□^」てなもんで許容することも易いのでありますが、昨晩はあまりの辛さ故、(恥ずかしながら!)彼に殺意しか芽生えず、「阿呆か貴様! それらの素晴らしいお食事をどちら様が作るのだ、おう?」と感情任せに返信しようと思うに至ったのでありましたが、しかしながらこれは「後輩の優しさに対してそれは酷かろう」と諭される類の感情であることも自覚しておりますため、ぐっと一息に殺意を飲み込み、何も了解せぬまま「了解!^□^」と返すことのできた、大人な私でございました。


そして本日、丸一日寝込めども快方に向かわず、横になり、咳き込みながらただただ「CCレモン」を飲み続ける私に、先程後輩は、「チョーキレイです!この素晴らしい景色を見て早く元気になってください!」と、デート中の写メを送ってきやがりました。

微笑ましくもある、この種の無邪気な善意に対し、私は今、布団の中独りアイスノンを抱きながら、「やはりどうしてくれよう」と思案しているところなのでございます。





メールさん

私は未だにメールに慣れない。特に携帯のメールに慣れない。特に女性相手の携帯のメールに、慣れない。
我ながら「いまどきそんな」とも思うのだが、メールなやり取りにおいて、ほぼ私はモヤモヤしている。そのやり取りにおいて私がほぼモヤモヤしていることを、先方にもご理解いただきたいと強く思う。


絵文字なメールが届くと、絵文字を使用して返信するべきか、どこでメールを終わらせたら良いのか、失礼はなかったのか、私はかなりの時間を悩む。届く文面の多角的な解釈に、かなりがんばる――このシンプルな文面と絵文字たちの裏にはどんなメッセージが隠されているのか。

特にあのピンクの奴、^□^←こいつの笑顔の裏には必ず何かが隠されている。あらゆる相手からのメールにしょっちゅう登場する^□^こいつのせいで、私はなんだか^□^こいつとメールをしている気になってしまっている。

知人の男性(飲み屋で知り合った60代の社長さん、怖い)からたまに届く飲みの誘いメールが^□^こいつのバリエーションに満ち溢れとてもラヴリーであり、「これは僕も^□^こいつを使ってお返事を書かねばいけないのではないか。そして怖い。」と思い、先日^□^こいつ一派の使用を解禁した。ようやく私も、^□^こいつになったところだ。


ママ4

最近私は、週末に予定を入れることを躊躇っている。いつ何時唐突に訪れるやもしれぬ運命的な出会い(スペシャルナイトウィズスペシャルガール(ズ))に、備えておかなければならないのだ。世の女性たちよ、どうか許して欲しい。

その結果、近所の小料理屋で一人寂しく焼酎を飲み、ママと二人でせっせと千羽鶴を折る週末を送っている私だ。折鶴なら任せて欲しい。


協力的な私に対し、ママはメタレヴェルから「そんなんだから駄目なのよー」と説教してくる。あんまりだと思う。
微笑むママに反論できぬまま、「私は何故こうなのだろう、来たくないのに」と焼酎が進む。そんなオブジェクトレヴェルな週末だ。


思えば子どもの頃から「遊ぶ約束」が苦手だった。
「遊ぶ約束」に届く日が楽しみで待ち切れなくなる。その日までに起きるであろう事柄の味が落ちてしまう。そしてその「遊ぶ約束」が終わってしまうと夏至を過ぎた気分になり、ぽつねんと「楽しかったあのとき」を反芻し「おえっ」となるのである。


時間と「今の自分」が有限だからこそ遊ぶ約束は大事になる。予定と予定に挟まれた時間はただの隙間なのだろう。
しかし私はその隙間にこそ何かが隠されていると思ってしまう。結果、隙間だらけな日常だと言ってよい(言わなくてもよい)。


ママは月曜日と火曜日(定休日)以外、毎日店に居る。ママは隙間だろうがなんだろうが会うことができる。
相変わらず店には通いたくない。そろそろゴキブリの季節も到来する。今年の対策はどうしようと頭を痛めている隙間だ。





ママ3

私は今、お下がりのTシャツを着ている。「お下がり」を着るのは子どもの頃以来ではなかろうか。「ブランド物だしどうせ誰も着ないんだから、マイン君にあげる」と、音信不通な息子のお下がりを何着かママからいただいたのだ。


今、私の胸元は大きく「AUSTRALIA」と主張している。これはブランド物なのかもしれないがそれ以上に、国だ。音信不通な息子の趣味を疑う。サイズが合わず、首が物凄く苦しい。

しかし「AUSTRALIA」を着てママの店に行くと、「似合う似合う、背が同じくらいだから」と目尻を下げてくれる。私も嬉しく思う。


ママは相変わらず独り身である私を心配してくれている。しかし確実にその「心配」は「説教」へシフトしており、「だからマイン君はダメなの」ってニコニコと存在を非難される昨今だ。


――何故私はお金を払ってまで辛い酒を飲むのか。ただでさえ通いたくないのに。

こんなふうに疑問に思った結果、ママの店から足が遠のいてしまった。しばらく通わない時期があった。


しかし最近、ママから電話がかかって来るようになった。困った声で「蛍光灯が切れちゃったのー」と言われると駆けつけ、替えてあげる紳士な私だ。
これで大丈夫、と帰ろうとするも「ありがとう、飲んでいってね」と結局酒を飲むことになり、拒否したいお通し(何日前の煮込みなのだろう)を出され、「ウッ」ってなりながら食べ、説教され、お金を払い、家に帰る。
数日経つと「棚の奥の方に出したいお皿が」と電話が来、駆けつけ、取ってあげると「飲んでいってね」となる。説教を受け、ウッとなり、お金を払い、惨めな気持ちで帰る。


ママは寂しいのだと思う。私も寂しいので気持ちは分かる。
しかし説教は嫌だし、AUSTRALIAも嫌だ。


最近は面倒なのか、「今お客さん誰もいないのー」とド直球で私を呼び出してくださるようになった。
私たち二人のためには少なくともトンチが必要だと思う。しかし私はママの店に急ぐのだと思う。




raison d'etre

駅で車椅子の女性(30代くらい、良く覚えていない)が傾斜に困っていた。テクがなく、車椅子生活に慣れていないようだった。
急いでいた私はただ横を通り過ぎようとしたのだが、彼女の「どうしよう」といった表情を見つけ、初めてな勇気を出した。

おどおどと「すみません、押してよろしいでしょうか。」といったことを言うと、彼女は「お願いします!」と嬉しそうにしてくれた。安堵し、車椅子を押した。
傾斜は緩やか、軽そうに見えたのだが車椅子は思いのほか重かった。押してもらうことを当然の権利だと思っていた車椅子時代を思い出した。入院中ラブだったおっちゃんと同様、この女性も回復しないのだろうかとぼんやり考えた。

上り切ると彼女は嬉しそうにしてくれ、照れくさく思った。そういえばおっちゃんの車椅子を押したことがなかった。


そんなことがあり、迷ったら「とりあえず勇気を出してみよう」とこっそりキリッとしている私だ。「こんなんでも喜んでもらえる可能性がある」という自負はこのように芽生えたと言ってよい(言わなくてもよい)。

先日は駅で泥酔状態の女性(20代前半、可愛い)を介抱した。前を歩く彼女の足元が余りにもフラフラだったため、後ろからキリッと「大丈夫ですか。」と声をかけたところ抱きつかれ、ウキャーだかウヒョーだか「飲みにぃこぅよぅ☆」的なことを言われた。更に、「お兄さんいいねー☆」って言われた。繰り返そうと思う、私は「お兄さんいいねー」って言われた。☆は無かった。

しかし、私は紳士だ。彼女を道端に座らせ、迫られるキス(肉食系だったのだろう)を避けながらお茶を飲ませ、休み休み途中までお送りした。冷静さを取り戻した彼女は「それじゃ」といった感じであっけないくらいドライに帰って行った。連絡先くらい聞いておくべきだったと思う。

酔っ払いのサラリーマン(20代、イイ奴そう)が駅前で楽しそうに倒れているのを発見したときも、とりあえずキリッと声をかけた。すると彼は朦朧と「ココで大丈夫っす、もう少し寝ていきます」と言ったため、コンビニでペットボトルの水を買い、再び夢に入った彼の股間に「そっ」と挟んでおいた。こんな感じで、私は存在していても良いのだと思う。



おっちゃんと佐藤

大きめな事故のせいで車椅子に乗っていたことがある。あれは、端的にびっくりした。急に目線が変わった。屈み込んで喋りかけられると、なんだかもにょもにょした。

入院中の私(当時20代半ば男性、上半身は元気)は大きめな病院内を猛スピードで疾走し、テクいコーナリングを披露したものだ。私を叱った看護婦さんのうち二人くらい(20代前半、飲む約束をしたが叶わず)は私に惚れていたと思う。


入院中は同じく車椅子生活なおっちゃんと良く過ごした。おっちゃんは50歳くらいのトラックの運ちゃん(強面、掌がでかい)、事故で首か背骨かが傷ついてしまい、特に下半身が動かなくなっていた。

おっちゃんとは違う病室だったが、喫煙所で会ううちに仲良くなった。同時期に日常から放り出され、急にぽっかり暇になった同士気が合い、喫煙所で車椅子を並べ、まったりした。

二人で空を眺め、「天気いいですね」「そうですね」とタバコを吸った。「あ、飛行機」「あー。」「昨日より飛行機雲長いですね」「はい。」なんつって。「リハビリの先生(20代後半女性、そこそこきれい)、マインさんに優しいですよね。」「あ、やっぱり?(笑)」「いけますよー。」「いやー無理ですよー」なんつって。キャバクラかって。


喫煙所には佐藤さんという男性(30代、友達が居ない感じ)もしょっちゅう来ていた。とっくに退院しているのに病院に遊びに来ることで有名な方で、院内をうろつき、看護婦さんやリハビリの先生たちから気持ち悪がられていた。退院後もうまく社会復帰ができていないようだった。彼は「病院の先輩」面(どうでも良い)をするため私は好かなかった。
私はただおっちゃんとぼんやりする時間が好きだった。「今日はあっちの喫煙所に行ってみましょうか」「いいですね。」「あの松葉杖の女性(20代後半、優しい)居ますかね」なんつって。午前も午後も、おっちゃんと二人でしょっちゅうぼんやりしていた。

しかし、おっちゃんを置いて私はどんどん回復し、車椅子を卒業した。パイポを咥えながら歩行器でガラガラ、プラプラできるようになった私とおっちゃんの目線は変わってしまった。おっちゃんは良くなる見込みが無いようだった。私は退院することになった。
「いいなあ」と言うおっちゃんにタバコをプレゼントし、別れた。


退院後もしばらく通院が続いた。車椅子に乗っていない自分が恥ずかしく、おっちゃんのお見舞いに行けなかった。
通院した際、一服しようとふと喫煙所を覗いてみた。以前良く居た場所で、佐藤さんとおっちゃんが談笑しているのが見えた。横に立つ佐藤さんをニコニコ見上げているおっちゃんを見、私は違和感を覚えた。今度は病院から放り出され、ぽっかりと「どうしちゃったの」という状態だったそのときの私には、病院に通い続ける佐藤さんの気持ちすら分かるように思えた。気持ち悪くなった。

私は声をかけず、唾を吐き、二度と喫煙所には顔を出さなかった。唾を吐いたのは嘘だ。