おっちゃんと佐藤 | スティルマイン

おっちゃんと佐藤

大きめな事故のせいで車椅子に乗っていたことがある。あれは、端的にびっくりした。急に目線が変わった。屈み込んで喋りかけられると、なんだかもにょもにょした。

入院中の私(当時20代半ば男性、上半身は元気)は大きめな病院内を猛スピードで疾走し、テクいコーナリングを披露したものだ。私を叱った看護婦さんのうち二人くらい(20代前半、飲む約束をしたが叶わず)は私に惚れていたと思う。


入院中は同じく車椅子生活なおっちゃんと良く過ごした。おっちゃんは50歳くらいのトラックの運ちゃん(強面、掌がでかい)、事故で首か背骨かが傷ついてしまい、特に下半身が動かなくなっていた。

おっちゃんとは違う病室だったが、喫煙所で会ううちに仲良くなった。同時期に日常から放り出され、急にぽっかり暇になった同士気が合い、喫煙所で車椅子を並べ、まったりした。

二人で空を眺め、「天気いいですね」「そうですね」とタバコを吸った。「あ、飛行機」「あー。」「昨日より飛行機雲長いですね」「はい。」なんつって。「リハビリの先生(20代後半女性、そこそこきれい)、マインさんに優しいですよね。」「あ、やっぱり?(笑)」「いけますよー。」「いやー無理ですよー」なんつって。キャバクラかって。


喫煙所には佐藤さんという男性(30代、友達が居ない感じ)もしょっちゅう来ていた。とっくに退院しているのに病院に遊びに来ることで有名な方で、院内をうろつき、看護婦さんやリハビリの先生たちから気持ち悪がられていた。退院後もうまく社会復帰ができていないようだった。彼は「病院の先輩」面(どうでも良い)をするため私は好かなかった。
私はただおっちゃんとぼんやりする時間が好きだった。「今日はあっちの喫煙所に行ってみましょうか」「いいですね。」「あの松葉杖の女性(20代後半、優しい)居ますかね」なんつって。午前も午後も、おっちゃんと二人でしょっちゅうぼんやりしていた。

しかし、おっちゃんを置いて私はどんどん回復し、車椅子を卒業した。パイポを咥えながら歩行器でガラガラ、プラプラできるようになった私とおっちゃんの目線は変わってしまった。おっちゃんは良くなる見込みが無いようだった。私は退院することになった。
「いいなあ」と言うおっちゃんにタバコをプレゼントし、別れた。


退院後もしばらく通院が続いた。車椅子に乗っていない自分が恥ずかしく、おっちゃんのお見舞いに行けなかった。
通院した際、一服しようとふと喫煙所を覗いてみた。以前良く居た場所で、佐藤さんとおっちゃんが談笑しているのが見えた。横に立つ佐藤さんをニコニコ見上げているおっちゃんを見、私は違和感を覚えた。今度は病院から放り出され、ぽっかりと「どうしちゃったの」という状態だったそのときの私には、病院に通い続ける佐藤さんの気持ちすら分かるように思えた。気持ち悪くなった。

私は声をかけず、唾を吐き、二度と喫煙所には顔を出さなかった。唾を吐いたのは嘘だ。