raison d'etre | スティルマイン

raison d'etre

駅で車椅子の女性(30代くらい、良く覚えていない)が傾斜に困っていた。テクがなく、車椅子生活に慣れていないようだった。
急いでいた私はただ横を通り過ぎようとしたのだが、彼女の「どうしよう」といった表情を見つけ、初めてな勇気を出した。

おどおどと「すみません、押してよろしいでしょうか。」といったことを言うと、彼女は「お願いします!」と嬉しそうにしてくれた。安堵し、車椅子を押した。
傾斜は緩やか、軽そうに見えたのだが車椅子は思いのほか重かった。押してもらうことを当然の権利だと思っていた車椅子時代を思い出した。入院中ラブだったおっちゃんと同様、この女性も回復しないのだろうかとぼんやり考えた。

上り切ると彼女は嬉しそうにしてくれ、照れくさく思った。そういえばおっちゃんの車椅子を押したことがなかった。


そんなことがあり、迷ったら「とりあえず勇気を出してみよう」とこっそりキリッとしている私だ。「こんなんでも喜んでもらえる可能性がある」という自負はこのように芽生えたと言ってよい(言わなくてもよい)。

先日は駅で泥酔状態の女性(20代前半、可愛い)を介抱した。前を歩く彼女の足元が余りにもフラフラだったため、後ろからキリッと「大丈夫ですか。」と声をかけたところ抱きつかれ、ウキャーだかウヒョーだか「飲みにぃこぅよぅ☆」的なことを言われた。更に、「お兄さんいいねー☆」って言われた。繰り返そうと思う、私は「お兄さんいいねー」って言われた。☆は無かった。

しかし、私は紳士だ。彼女を道端に座らせ、迫られるキス(肉食系だったのだろう)を避けながらお茶を飲ませ、休み休み途中までお送りした。冷静さを取り戻した彼女は「それじゃ」といった感じであっけないくらいドライに帰って行った。連絡先くらい聞いておくべきだったと思う。

酔っ払いのサラリーマン(20代、イイ奴そう)が駅前で楽しそうに倒れているのを発見したときも、とりあえずキリッと声をかけた。すると彼は朦朧と「ココで大丈夫っす、もう少し寝ていきます」と言ったため、コンビニでペットボトルの水を買い、再び夢に入った彼の股間に「そっ」と挟んでおいた。こんな感じで、私は存在していても良いのだと思う。