スティルマイン -5ページ目

洪水はわが魂におよび

友人の年齢層が幅広いのが自慢だ。下は2歳児。上は90歳。かなりカバーしている。
ちなみに女性のストライクゾーンも広い。かなりカバーしている。どうだ。

2歳児はあまり懐かない。だっこしたら顔が「ヒク」とくる。正直友達と言っていいのか微妙ではある。が、私が好きだから友達だ。そんなもんだ。
私のような人生の大先輩に対してタメ口はどうかと思うが阿呆な動物として許している。

阿呆な動物だって友達だ。どうだ。


先日はその母親と3人でラーメンを食べた。阿呆な動物がちゅるちゅるする姿はもう、悶絶ものだった。

当たり前の光景と言えばそうなのだろう。私にはたまたま当たり前でない光景だというだけだ。しかしその「当たり前フィルター」に隠され、物凄い数の悶絶シーン、卒倒ビジョンが、この世の中には隠されているのだ。そうに違いない。


2歳児が喰い切れんラーメンを横取りながら「ニン」をひとしきりし合い、喰い終え、バイバイした。

一人になってふと考える。
もっと子供の可愛らしさを賛美するテレビがあればいいと思う。じいさんばあさんのエキスを辛抱強く集めた本があればいいと思う。あるのかもしれないが、私のようなチョンガー(うわなんて言葉だ!)の目、耳に届くきっかけがないのだろう。
いやそもそもテレビや本の力を借りて手軽に味わいたい、という方がおかしいのかもしれない。きっと、大事な部分が崩れてしまうのではなかろうか。

例えば、よくある「大家族スペシャル!」「第一村人発見!」「初めてのおつかい!」とかは近いのかもしれないが、好かんのだ。胸が苦しくなる。



とつらつらと続けたかったのだが「チョンガー」と言ってみて思った以上に自分にダメージを与えたようなので、ここで筆を置くことにする。言葉は残酷だと思う。

それは夢

私は夢の中でちょくちょくコンサートをしている。武道館級の規模なら何回か経験がある。

先日見た夢ではスマップのコンサートに出演。アンコールで電撃的にメンバー加入を発表され、歌い出した私は東京ドームの女子全員から罵声を浴び退場した。昨今無いほど侮辱的な出来事だった。


先日は知人の夢に出演したそうだ。その夢の中で私はブログを書いていたという(その知人は私がブログを書いていることを知らない)。そしてそのブログの人気が爆発し(その知人はこのブログがひっそりとしていることももちろん知らない)、「鬼嫁日記」のように本になりベストセラー、十分稼いだ私は仕事を辞め、急激に老い、ゆったりと余生を過ごしていたそうな。避暑地のコテージとかで。「よう。元気?」なんつって髭面でパイプ咥えてそいつを迎えたりして。暖炉とロッキンチェアみたいな。


スケールのでかい夢の中に存在する自分を思いながら鏡を見ると「現実ってやつぁーよう」と思うし、そんなことを思うなんて我ながらどうしちゃったのよと思う。

――もっと熱くならなければ。私は夢を現実化する男だ。


まずはスマップに加入するところから始めねばならないと思う。森君の穴を埋められるのは私しかいないと思う。

せいぜいパイプを買っておこうと思う。


行方不明

連絡がとれない友人がいる。
彼は小学校以来の友人だった。二十歳を超えてもつるんでいたのだが、何時の間にか連絡をとらなくなってしまっていた。

こちらから連絡をとらなかった、深い理由は無い。急ぎの用事もなければ、今更関係が変わることもない。

昔っからの友人なんて、いつ会っても昔のままだ。実際私たちは仲間内で会う度に、当時と全く同じ遊びをしていた(酒とテレビゲームとマージャン)。

いい大人なのに、その度に昔と同じように爆笑していた。ノスタルジックに懐古するからという訳ではなく、単に楽しいからだ。


そのうちの一人と連絡がとれない。家も携帯も変わってしまっていた。


ある日、その頃の仲間と夕食を食べていたらその友人の話になった。人づてにのそいつの噂を聞いたやつがいたのだ。

彼はどうやらこっそり結婚して他県に引っ越しているらしい。苗字も変わったようだ、と言う。


あーだこーだと憶測でしかその友人のことを語れない私たちの間に妙な感覚が生まれたが、それはまあ良い。私たちと連絡をとりたくない事情があるのだろうし、そこを突っ込むのも少年時代のノリではない。
子供感覚では、「水くせえよなあ」と言うこと自体が水臭い。芝居がかり過ぎるのだ。また数年後ふらっと地元に帰ってきて、一緒にマージャンやれれば良いのだろう。


そして私もまた行方不明者なのだろう、と思った。


人間は色んなカインドオブ引越しをしている。大きな別れのイベントなぞ無くても地続きでいるようで人生には無数のクレバスがある筈だ。

ひととの付き合いを大事にしているようで、おそらく私はそのクレバスを作りまくり、見ない振りをして生きてきた。処世術だ、と言っても良い(言わなくても良い)。


私ははたして何人の人間にとって行方不明者なのだろうか。昔を懐かしむ度に思う。

が、思わなかった振りをする。目をつぶってクレバスを飛び越えていく。

そしてたまにクレバスに落ちる。


ハテナダイアリ

長い昇りエスカレーターに乗っている途中、前のカップルがいちゃいちゃしているのに気づいた。なんだか甘えんぼうな彼女だ。

「もーぅ」とか言いながら二人でベタベタキャッキャしていたので「ケッ」と思いながらも、必死で「ボクは気にしていないぞ、自由に続けたまえ」という素振りをしていたのだ。

すると彼女が突然甘えた声で「えー、なんでー!? ハ、テ、ナ?」と幼稚園児のように小首をかしげたポーズをつけてブリッコ(嗚呼!しかしこれ以上妥当な表現は無いのだ!)したのだ。


「ブッ」と大きめに吹き出してしまい、それに気付いたカップルは大人しくなってしまった。
申し訳ない・・・しかし不可抗力だ・・・


思えば少し「ボヨヨーン!!」の奥さんに似ていた――私の好きなタイプかもしれない。

ポーズは「ハ、テ、ナ?」で首を、右、左、右だ(右手は口元にあった気がする)。どうか流行らせてほしい。というか流行っているのだろうか。

私は動きだけはマスターした。声はまだ出せない。


熱血

中学のある時期、私はどん底だった。しょっちゅう昔を懐かしみ、「ああ、こんなノスタルジックなおっさんじゃモテない」と思いながらも過去を泳ぎまくってしまう、そんな私でも戻りたいとは全く思わないほどダークな時期なのだ。

当時の私はすっきりとグレる勇気も無いくせに地味な問題行動もあり、更に家庭で起きたどん底な事件を抱えているなど「参ったなあ」な時期だったのだけれど、そう、クール、ワッタクール!ボーイアイアム!であったのでそれを表には出せず、友人にももちろん教師にも私がひっそり抱える問題を知られることは無かった。
「酸素足りねえ!」と本当は大ピンチのくせに悠然と水底を泳ぎ、酸素を求め無様に水面でパクパクしているほかの鯉を眺め、「ふっ、ボウヤだな」と呟きたい鯉盛りだったのだ。
例えが下手だしノリで書いてしまったが、そんな感じだ。


その時期の私は友人らとつるむ時間すらも持つことができず、一人コソコソと帰宅しなければならなかった。そんな感じでぐったりしているある日の帰り道、体育教師と一緒になった。

その体育教師は20代、今思えば見事なほど典型的な熱血でありヤンチャな生徒にも本気でぶつかるタイプだった。職員室前で数人のバッド☆ボーイズたちと大立ち回りをやらかしているのを見、「うわあアチーよーこえーよ」と冷ややかに眺めたこともある。

よう、とその熱血は私に近づき、他愛もない話を始めた。私は「はあ」とか「まあ」とか適当に合わせるしかなかった――ハウ・クール! 
しかし内心、本当は酸素が足りなかったのだ。どうしょうもないイライラを抱えていて、クールでアイアム!のくせに余裕はなかった。

しばらく無言で並んで歩いた。
別れ際に熱血はそれじゃあな、と身を乗り出し、自転車にまたがったままガバッと私の頭を脇の下にはさみ、ぎゅうとしばらく締め付け、ぼそっと力強く、「がんばれよ」と言った。


がんばれよ。

なんでボクが大変なの分かったんだ。誰にも言っていない。格好悪い。格好悪い!!

ググーンと涙が鼻の奥から押し上がって来た。
熱血はしばらく私を締め付け去って行ったが、あと3秒長かったら危なかった。わあわあ泣き出していたと思う。なんだかもっと締め付けて欲しかったし先生に思いっきり抱きつきたかった。
ドラマか!キンパチか!――おのれ熱血!


心は結構イージーだ。当時の私は抱えていた問題をクールに対処できると思っていたし、「こんなこと何でもねーよ」と思い込みたかった。熱血教師なんて暑苦しいもんで、私の脳内ではただの「見事な筋肉バカ」として処理されていた。熱血ストーリーに感動するほど頭もイージーじゃないと思っていた。

油断していた。結構モロいぞ、俺。――ハウイージーアイアム!


その後私は等身大に自分のモロさとイージーさを自覚し、部屋で一人「となりのトトロ」の「おねえちゃんのバカー!」や「メイのバカっ!!」でそれこそバカみたいにわあわあ泣けるまでに成長した。立派になったもんだと思う。

私に恩師はいない。しかし当時の熱血の年齢を超えた今、彼に会ってみたいとも思う。


PKO

深夜の駅前、帰宅途中の友人と私は酔っ払い度ヘビー級同士の喧嘩に遭遇。強面のおっさんサラリーマン(柴田恭兵風)VSヤングサラリーマン(20代前半)。軽く人だかりもできていた。

同じく酔っ払い(ミドル級)の私は喧嘩を発見するやいなや人だかりに直行。ヤングに掴みかかっているおっさんの肩を抱きながら「まあまあどうかひとつ、どうかひとつ、はっはっは」と二人を引きはがす。おっさんは密着する私を睨むが、「まあまあ、どうかひとつ」と笑いながら繰り返す私に「えらいな兄ちゃん!」と急に機嫌を直し、二人は意気投合。ヤングを放置し「よっしゃ行こう」と仲良く肩を組みながら繁華街へ逆戻りするところを友人に制止されたという。


以上、その友人から聞いた話だ。記憶は無い。「どうかひとつってなんだ」と言われても「伊東四朗だ」としか言えない。


もし酔っ払いの喧嘩を機嫌よく仲裁する人間を見かけたら、それは多分私だ。
喧嘩ではなく、怪我をする前にどうかひとつ私を止めて欲しい。



火遊び

ゆうこりんをご存知か。そう、コリン星人だ。

たまに行くおんぼろビルの壁に、ゆうこりんのポスターは貼ってある。随分長いこと、ゆうこりんは貼ってある。セロハンテープではっつけられたそのポスターの中で、防災を訴えるゆうこりんが右手の人差し指を立て、にこやかに笑っている。

正直、テレビで見かけてもゆうこりんに心を動かされたことはなかった。
――ほう、ゆうこりんか。そんなもんだった。


先日、そのゆうこりんのポスターが剥がれかかっていた。セロハンテープは変色し、もはや粘着力も無い。落ちかかるゆうこりん。しかし誰も気にしない。
ゆうこりんを、誰も気にしない――

そして今日、ゆうこりんのポスターは剥がされていた。
居たはずの壁に、ゆうこりんは居なかった。もう、ゆうこりんは私に微笑みかけてくれない。そうやってポスターの中で微笑むゆうこりんとゆうこりんが訴えていた防災の意義は忘れられていくのだろう・・・・・・




特に主張したいことは無い。正直、ただ「ゆうこりん」と書いてみたかったのだと思う。

「小倉優子?Who?」といったキャラクターで生きている私には決して口にすることのできない「ゆうこりん」。14回も発することができたから満足しようと思う。ネットって凄いと思う。そしてちょっと、ゆうこりんは可愛いと思う。


to be happy

通勤途中、駅までの道のり、ほぼ同じ場所で自転車に乗る女性とすれ違う。ハタチそこそこだろうか。OL一年生といった感じだ。

彼女の存在を意識したのは一ヶ月前くらいだろうか。すれ違う時、「あれ、このコどこかで会ったっけ」と思いきやなんのことはない、毎朝見かけているのでなんとなく顔を覚えてしまったのだ。

それ以来、ほぼ毎朝私は彼女を認識している。よく見るとなかなか可愛らしい。初々しい、純情な感じだ。こんなこと書いていると「本当におっさんなのだなあ」となかなか感慨深いものだ。

そのコとたまに目が合う。きっと向こうも私の存在を認識しているだろう。


「勇気を出して初めての告白」をご存知か。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の一コーナー。中高生が初めて好きな相手に告白する瞬間をテレビで流すという、出演者・製作スタッフ・視聴者その全てを悪趣味に陥れるというなんとも刺激的なコーナーだ。「悪趣味だなあ」とドキドキしながら見たもんだ。

初々しい、純粋そうな彼女の存在を認識してしまってから、このコーナーのテーマソングだったボビー・マクファーリンの「ドント・ウォーリー、ビー・ハッピー」が駅までのテーマソングになっているのである。

  ウー、ウーウー、ウウー、ウーウウーウウーウウー♪



今朝も告白されなかった。ドント・ウォーリー。

いつか私の魅力に気付く日が来ると思う。その日まで口笛で「ドント・ウォーリー、ビー・ハッピー」を吹き、空を仰ぎながら駅まで歩いていこうと思う。そしてついに告白されたら「ゴメン!」とウィンクしながら舌を出し、可愛く断ろうと思う。

隣の職場の女性とすれ違ってもこの曲が流れる。思えば学生時代から流れていたような気がする。きっと治らない病気なのだと思う。


エスカレーターズ

幼い頃、私はエスカレーターのカラクリに魅せられていた。
――階段が動く!手すりまでついてきちゃう!なんてファンタジー!


そのミラクルの解明には至らぬまま、私は大人になった。残念だ。
今日も無関心にエスカレーターに乗った。階段は色々と辛いからだ。

昇りきるとそこには当時の私同様エスカレーターのミラクルに魅せられた幼児が手すりの構造の解明に勤しんでいた。邪魔でしょうがない。危ない。
色んなモンを忘れ一人没頭している我が子を母親は少し離れたところから暖かく見守っている。いいのか。

幼児を回避しながらエスカレーターを降り、ふとこういう母親が天才を作り上げるのかと思った。
母親の側から離れると不安で「オエッ」となる幼児だった私は天才になれなかったわけだ。

そういえば昔のエスカレーターは階段と階段の隙間から緑色の光が漏れていた。地面までが遠くなったからか、最近見ない気がする。まだ光ってるのだろうか。今度こそ光の行方を解明しようと思う。


ダンディといっしょ

飛行機に乗った。わーい。飛行機が好きです。

盛り上がったテンションを一人ひっそりと維持したまま羽田に到着、電車内でぐったりしていると隣に座ったダンディな二人組が大げさに語り合い始めた。

「おい、シルバーシートって知ってるか?若いやつが座るところじゃなかったよな」
「若いやつらは自己中だから知らねえんだろ。ゆとり教育だよ。イマジネーション不足だよ」
「そうだなダメよだなーシルバーシートに若いやつが座る時代だもんなー」

向かいのシルバーシートには若いカップルが座っているのだ。ダンディたちは二人に聞こえるように話したのだろうし、二人はそれを聞いて大人しくなり俯いてしまった。辱められてるのだ。そら白ける。ダンディたちはニヤニヤ語り続ける。


――なるほど・・・しかしだダンディ。
我々の向かいに座るレディのお腹には赤ちゃんがいるかもしれんぞ。あるいは青年は足を引きずっていないかね。我々の未知なる病気と格闘中かもしれぬ。そっちの君は先ほど彼らを「イマジネーションが足りん」と言ったがそれはまさしく君らに当てはまるのではないかね。


しばらくするとカップルは足取り軽やかに電車を降りていった。
ダンディたちは何時の間にか他の会話で盛り上がっていた。

語らい続ける私とダンディ二人組が空想内に取り残された。


人間はイマジネーションに苦しめられていく生き物なのだろう。
ダンディたちと手を繋ぎ、潤い豊かなオアシスがある方向へと駆けようと思う。