洪水はわが魂におよび | スティルマイン

洪水はわが魂におよび

友人の年齢層が幅広いのが自慢だ。下は2歳児。上は90歳。かなりカバーしている。
ちなみに女性のストライクゾーンも広い。かなりカバーしている。どうだ。

2歳児はあまり懐かない。だっこしたら顔が「ヒク」とくる。正直友達と言っていいのか微妙ではある。が、私が好きだから友達だ。そんなもんだ。
私のような人生の大先輩に対してタメ口はどうかと思うが阿呆な動物として許している。

阿呆な動物だって友達だ。どうだ。


先日はその母親と3人でラーメンを食べた。阿呆な動物がちゅるちゅるする姿はもう、悶絶ものだった。

当たり前の光景と言えばそうなのだろう。私にはたまたま当たり前でない光景だというだけだ。しかしその「当たり前フィルター」に隠され、物凄い数の悶絶シーン、卒倒ビジョンが、この世の中には隠されているのだ。そうに違いない。


2歳児が喰い切れんラーメンを横取りながら「ニン」をひとしきりし合い、喰い終え、バイバイした。

一人になってふと考える。
もっと子供の可愛らしさを賛美するテレビがあればいいと思う。じいさんばあさんのエキスを辛抱強く集めた本があればいいと思う。あるのかもしれないが、私のようなチョンガー(うわなんて言葉だ!)の目、耳に届くきっかけがないのだろう。
いやそもそもテレビや本の力を借りて手軽に味わいたい、という方がおかしいのかもしれない。きっと、大事な部分が崩れてしまうのではなかろうか。

例えば、よくある「大家族スペシャル!」「第一村人発見!」「初めてのおつかい!」とかは近いのかもしれないが、好かんのだ。胸が苦しくなる。



とつらつらと続けたかったのだが「チョンガー」と言ってみて思った以上に自分にダメージを与えたようなので、ここで筆を置くことにする。言葉は残酷だと思う。