ばあちゃんワズマイン4 | スティルマイン

ばあちゃんワズマイン4

ある二十歳を過ぎた夏、帰省した私をばあちゃんは連れ出した。二人で出かけるのは子供の頃以来であり、積極的なばあちゃんに驚いた。
ばあちゃんは私をタクシーに乗せ、繁華街(だがしかししょぼい)へと走らせた。馴染のレストランに行きたいのだという。

タクシーに乗り込むとばあちゃんは後部座席から小さい体を乗り出し「東京から孫が帰ってきまして」と嬉しそうに語り始める。運転手も田舎の方言で「そりゃ良かったですねえ」と返してくれるのだがばあちゃんはテンションがイチ抜けノンストップ、「こないだは…」「最近は…」などと語り続ける。運転手は一生懸命「そりゃあそりゃあ」と返してくれる。捲くし立てる一方通行婆の背後から、私は「ばあちゃん耳が遠いんです」と運転手に教えた。


ばあちゃんは二十歳前後まで耳が聞こえていたためしゃべることはできた。私は幼い頃から、「おばあちゃんと話すときは大きく口を開けて話しなさい」と教わった。ばあちゃんは相手の口の動きを見ながら自分の口を模倣させ、相手が何を言っているのかをほぼ正確に理解した。

幼い頃、大きく口を開けながらも声を出さない「口パク」でばあちゃんと会話をしていると「失礼だ」と叔父に怒られた。「どうせ聞こえない」と返す私に、叔父は更に怒った。また別の日何か面白くないことがあり、テレビを見ているばあちゃんの背後から「どうせ耳が聞こえないのに」と悪態をつく私を怒鳴りつけ正座させ、説教したのも叔父だった。叔父は正解だった、しかし今の私だったら当時の自分をぶん殴っていると思う。


レストランはとても小さく、流行っていない喫茶店のようなところだった。二人で同じ「豚のしょうが焼き定食」を注文した。ばあちゃんは当たり前のように豚肉の殆どを私の皿へ移し、私は全て平らげた。ばあちゃんはおちょぼ口で長々と食べながら、このレストランについてのささやかな思い出話を聞かせてくれた。

食べ終わるとばあちゃんはいつもどおり小さく手を合わせ「ご馳走様でした」と言い、支払いは任せろと言わんばかりに会計に向かった。金を払いながらレジの女性に「先日はどうも」や「孫が帰ってきているんです」と常連よろしく親しげに語りかける。ニコニコするばあちゃんに女性はそっけない態度をとり、私は悲しく思った。横から「帰りはバスで帰ろう」と大きい声で言うとばあちゃんは「行こうね」とほんのり嬉しそうに思えた。

駅前に出るもバスは恐ろしいほどやって来ない。ばあちゃんと二人で日陰になるベンチに座り、鳩なんぞを数え始める。時刻表を見る。まだ来ない。座る。思い出話をする。絵の話をする。時刻表を見る。暑い中、随分長いことバスを待った。


ばあちゃんは私とレストランで食事したことを家族に隠したがった。私は了承し、叔父夫婦にはただ「街まで買い物に行き、適当に食べた」と報告した。
幼い私を正座させた叔父はいつしかばあちゃんを疎むようになり、叔母とその子供たちもそれに倣った。ばあちゃんは、その家の一番奥の部屋にひっそりと棲息した。私のばあちゃんは、どんどんしわしわになり、どんどん小さくなった。私がデートしたのはその頃のばあちゃんだった。