スティルマイン -12ページ目

樹海

今朝支度をしながらテレビを点けていたらワイドショー的な情報番組で「青木ヶ原樹海の自殺者」といった特集をやっていた。
朝からえらいもんやってるなーと思わずテレビに釘付けになる。

途中から見たので不明な点もあるが、私が見た時にはレポーターが青木ヶ原へ乗り込み自殺死体を発見するシーンが放送されていた。
地面に横たわる白骨化した死体、木にぶらさがったままの首吊り死体。モザイクがかかってはいたがぼんやりと見える。更にレポーターが親切にも「下顎には歯が・・・」とか「体液が乾いて・・・」などと説明してくれる。
「いいのか朝から」と思いつつも目が離せなくなる。死体に向かい合掌するレポーター。何時の間にかスタジオに戻り、アナウンサーやコメンテーターが「自殺」について意見を述べている。そこでテレビを消した。

今日一日この番組を思い出す度気分が悪かった。
このぐちゃぐちゃした気分の悪さが何処から来ているのかを整理しようとこれを書いている。まだ良く分からない。きっと幾つかの要素が絡み合っている。

Q.何に対して気分が悪いのか?

A.1
企画の意図はどうあれ、自殺者を見世物にしているから。
彼らはこういう形でテレビに映ることをきっと望んでいなかっただろう。だからこそ樹海での孤独な死を選んだのではないか。テレビ局にはモザイク無しのそのままの姿が記録されたテープが保存され続けるのだろうか。私が遺族だったら悲しい。

A.2
コメンテーターたちの意見。
「自殺は良くない」「産まれて来たからには生きる義務がある」といった発言だった。そんなこと改めて言われなくても良い。と言うより自殺(志願)者やその家族を前にして同じことを言えるか?
そう無難にしかコメントしようがないナイーブなテーマかもしれないが、自殺という極限の手段を採らざるを得ない(得なかった)人に対して「正しい」意見を言う意味があるのだろうか。百も承知だろう、そんなことは。
正義や倫理を背負ってモノを言うのは気持ちが良いものだ。そういう気持ち良さに身を任せ饒舌になるコメンテーター。醜く思える。

A.3
そして私自身。こういう番組に一瞬でも夢中になる一視聴者。

この特集はコメンテーターの言うように自殺は良くない、自殺者を止めようといった意図や親切心で製作されているのかもしれないがその底には「自殺死体を撮ってやろう」という黒い好奇心があるように思える。認めたくはないがそういう類の好奇心は私にもあるのだろう、しかし大っぴらに出すものでもないし正当化して良いものでもないと思う。

自殺の是非は簡単に決定できるものではないし、私には良く分からない。ただ軽々しく良い悪いや適当な倫理をもって語りたくないとは思う。自殺を決断せざるを得なかった人に安易さを見たくはないし安易な言葉で私は語れない。そこまで強くないのだろう。
よってこの某番組と私自身を批判するに留め、筆を置きたい。


夢の中の部屋

良く夢を見る。内容を覚えていることも多い。

大抵は阿呆な夢だ。スマップの新しいメンバーとして頑張ってたりする。


夢の中で私が住んでいる部屋はほぼ現実に住んだことのある部屋だ。昔住んでいた実家の部屋だったり、初めて一人で生活を始めた部屋だったりする。思い出の部屋だ。


しかし夢の中にだけしょっちゅう出てくる部屋がある。狭くて暗い部屋。そんな部屋は知らない。
夢なのだから何でもアリ、脳が勝手に作り出した部屋なのだろうと思っていたのだがなんとなくは不思議だった。こんな部屋に住みたくないし、せっかく夢なのだからもっと良い部屋に住める筈。スマップみたいな。



しかし先日、その部屋も現実に住んだことのある部屋であることに気付き鳥肌が立った。


自分の部屋を視覚的にイメージしてみる。すると浮かんだイメージはある方向から視点が固定されている。それが私にとってのその部屋のイメージ。
夢の中ではそれが逆の視点になっていた。つまり「こっちから」ではなく夢の中では部屋を「あっちから」の視点で見ている。だから同じ部屋だと気付かなかったのだ(廊下や窓などの配置を俯瞰的に考えてようやく気付いた。気付くと納得できるし気付かなかったことの方が意外に思える)。

私が普段抱いているイメージが一面的でしかないことに気付かされた気分だった。
そして私が意識しているのとは別の異なる視点が無意識的にも存在し、その視点からのイメージが脳の何処かに保存されているようにも思えて気持ち悪くなる。

同じものでも他人が見たら全く違うように見えるだろうし、印象、イメージも異なる。それは当たり前のことだ。
しかし同じ「私」でも無意識的に全く異なる視点でもものごとを見ているのかもしれない。「視点」や「ものごとの見方」など私のキャラクターを成立させている要素も思った以上に不安定なものなのではないか。



自分という存在は固体じゃなくてもっとぶにょぶにょしているものなのだろうな。アメーバみたいに。
私が「私らしい」と思っている表情を普段の私は本当にしているのだろうか。昨日の私と今日の私はどこまで同じか。一分前と今はどうだ。

変化し続ける中で一瞬見えた気になるのが「自画像」なのかもしれないな。

ニニニン

昼休み、自転車の後ろに乗せられた幼稚園児と目が合った。背中に大きく名前の書かれた体操服を着ている。私が一服している近くに自転車を止め、母親は自転車に跨ったまま立ち話中。後ろの女の子はつまらなそうだ。

これはチャンス。例のごとく 私はニンとする。
ニン。
どうだ。
するとなんと向こうは3倍返ししてきた。ニニニン。
・・・・・・こ、このおチビめ。こちらも負けてはいられない。

私もニンを加速させる。未知の様態へエヴォリューション、四朗を超えた。と言うより傍目には子供相手にイーしてるとしか見えなかっただろう。
女の子はキャッキャしてた。
私は単に笑われたのか。

そうか・・・しかし勝ちは私で良いな。

話を終えた母親は私に笑顔を送り、自転車を発進させる。
ニンのまま手を振る私。
――忘れんなよ。歯を閉じて「ニン」だぞ。
女の子は振り返り、ずっと手を振り続けてくれた。



クソババアと息子

母親に直接「クソババア」と呼び掛けた人間を一度だけ見たことがある。

高1の時、仲の良かった同級生の家に遊びに行った。彼の家に行くのは初めてだった。
そいつの部屋でCDを聞いたり高校生らしく不健康な会話をしながらダラダラと寛いでいると、彼の母親が夕食を持って来てくれた。


息子の来客に「いらっしゃい、ゆっくりしていってね」といった優しい言葉を掛けて下さる彼の母親。
その優しい母親に対し友人は「うるせえクソババア、メシ置いてあっち行けよ!」と反応。


その暴言とナンセンスさに驚く私。
何と言うか、「クソババア」と呼んで良いシチュエーションじゃないだろう。そもそもうるさくない。例え本当にクソババアだとしても「クソババア」を使用するタイミングを完全に間違えている。

友人の母親はどんな顔をして部屋を出て行ったのだろう。覚えていない。
「お前いつもクソババアなんて呼んでるの?」と小声で聞くと「いや、今が初めて」とニヤニヤする。なんだそれは。照れるな。何故今なのかと問うと「何となく今しか無い気がした」と答える。

彼のその言い方で私も彼の気持ちを何となくだが理解できた。


この友人は母親に対して罵倒したり反抗したりするには中途半端に大人で冷め過ぎているタイプだった。
自分の(子供)部屋に仲の良いトモダチを呼ぶという子供っぽくはしゃげる空気の中だからこその無茶なトライ。トモダチに自分の母親を見せる恥ずかしさをも飛び越える大ジャンプ。普段は気恥ずかしくてできない母親へのアプローチ。

それにしても無茶苦茶だ。飛び越え過ぎだろう。
出て行った母親の見えない後姿に「ごめんよ」と呼び掛ける友人。その表情が何とも言えず二人で笑い続けた。


母親に対する気恥ずかしさって何処から来るのだろう。男子ならではの感情なのだろうか。


ちなみに私は母のことを「おかあさん」と呼んでいる。人前で呼ぶ時は多少ゴニョゴニョするが、この歳まで「オフクロ」と呼び掛けるタイミングを見つけられなかった。もちろん「クソババア」なタイミングも無い。


その「オフクロ」タイミングはいつ訪れていたのだろうか。今後もう訪れることは無さそうだ。改めて「オフクロ」と呼び掛けるなんてもう恥ずかしくてできない。このままずっと「おかあさん」と呼んでいる気がする。
と同時に「ママ」じゃなくて良かったと心底思う。


自分の目を売る女性

エキサイトニュースによると、「バングラディッシュの女性が夫から捨てられた結果、生計が立てられなくなり、自分の眼球を売ることにした」という。

良く知らない他国の生活習慣も言語も性別も立場も違うこの女性に対してかわいそうだ、不憫だと思いかけて何故だかそういう感情を表に出さないようにしたり、その感情自体何物?何か違和感、匂うなと我ながら考えたりするのだけど、この女性が日本に住む私と全く同じ立場の存在だと仮定してもやはり私は同じようにひとごととして考えてしまうだろうしそう考えざるを得ないという当然のことに改めて気付かされるのだが、それでもなおこの女性の境遇に対して同情したり目を一つ失った後の彼女を想像して勝手に悲しい気持ちになりはしつつも私は何も動かないし数日後には彼女の存在自体忘れてしまうであろう、そういう自分を反省するのはなんだかおかしいとは思うのだが「それは当然のことだよ、所詮ひとごとだもん」としたり顔で言ってのける奴には腹が立つし「もし私が彼女だったらやはり目を売るだろうな。あなたならどうする?」などと言う奴にもついでに腹が立つ。
日常を生きているとこういうことを考えたり(妄想)することは余り無いから考えさせられて良かったとは思うがその為だけのニュースではないだろうし、疑問と自問は湧き続ける、ブクブク。


追記

この女性は目を売らなくて良くなったそうだ。良かった良かった。

ハイテンション・ダウナー

先日知り合いが一人の女の子を飲んでいる席へと連れて来た。分かりやすい今時ギャル、顔が小さくて可愛い子だった。
その子も交え数人で飲んでいた。久し振りの顔もあり、思い出話に花が咲く。

その女の子は最初大人しく私たちの仲間内トークを聞いていた。のだがしばらくすると飛ばし始め、何時の間にか延々と彼女の「オレバナ」タイムに。人の話を聞くことは嫌いではないのでその流れに違和感を感じつつもふんふん聞いていた。
彼女は自分の人生は大変だった、と言う。10代の頃からは特に波乱が続き、その結果精神の病気にかかってしまった。電車にも乗れず食事も咽喉を通らなかったり、最悪な時は入院寸前まで行ったそうだ。涙ながらに語る。
現在は薬の量も大幅に減っているし飲みにも出れる。それがとても嬉しい、今が楽しい、と微笑み話す彼女はとても可愛かった。


・・・・・・難しい。
その日彼女が店に到着するなり何錠もの薬を酒で流し込んでいる瞬間を私は見た。
アルコールでメンタル系の薬を飲むのはまずいだろう。かなりキキそうだ。饒舌になり話が止まらなくなっている状態も危なく思える。
結局彼女には何も言わぬまま店で別れ、私の中に何かもやもやしたものだけが残った。

彼女は良くキクからこういう服用の仕方をしているのだと思う。効果が強すぎて危ないことも承知の上での選択なのだろう。初対面の私が何か言うことでも無いし何か言える立場にもない。しかしこのモヤモヤ感は、なんだ。自分のことを話し続ける彼女とちやほやする周り、そしてふんふん聞く私。

これは言いづらいが色々な難しい要素を含んだシチュエーションだ。私が勝手に抱えるモヤモヤ感すらも説明しようとするとおかしくなってしまう類の微妙なフィーリン。私は彼女の行動に物申したいのか、或いは彼女のキャラクター自体に物申したいのか。
言葉とは話し手を裏切るものだ。彼女の体を心配する気持ちに嘘は無くとも発せられた言葉が彼女を切ることも考えられる。本当に心配しているなら思いついたことを言うのではなく他にできることもあるのではないか。いや、彼女を心配する気持ちは本当なのか。そもそも他人を心配するってどういう気持ちなのだ。私のこの感情はなんだ。

口を噤むのが最善の選択、というシチュエーションは結構多い。要らぬ一言の多い私は失敗してしまうタイプだ。
この時もそういう状況だったと思う。モヤモヤ感を抱えつつ、言いたい欲求を堪えて正解。
ただ彼女が一日も早く今以上の健康を取り戻すことを祈ろう。
そして彼女自身も今以上にそう思えるようになることを祈ろう。他人として。

 

 

ばあちゃんワズマイン2

(→ばあちゃんワズマイン


ばあちゃんには特技があった。腰が曲がっている婆なのに、おんぶしている子供を肩の上からひょいっと前へ移動させる力技。される側には何が起きたか良く理解できない。何時の間にかおんぶがだっこに、だっこがおんぶになっているファンタジスタ。それが面白くて何度も何度もせがんだ。
このアトラクションは子供たちに大人気で、私たちは良くばあちゃんの周りに並んだものだった。近所のどのばあちゃんもこの技をできなかった。そりゃそうだ、婆だもの。普通はできない。

ばあちゃんは手加減を知らなかった。子供の頃何故か背中が痒くて痒くてしょうがない時があった(私が汚かっただけなのだろうか。当時そういう子供が周りに多かったのだけど)。
「掻いて掻いて、背中を掻いて」と母親に頼んでも軽くさすられるだけで気持ち良くもなんともない。柱や壁にこすりつけてもぞもぞするのも億劫で、そんな時は良くばあちゃんに頼んだ。
ばあちゃんは背中が痒い辛さを理解していたのだろうか、爪を立て力の限り掻いてくれた。
だからすぐに、はあー気持ちいいーー痛ってーーーー!!!となり背中にはみみず腫れのような跡が残る。ヒリヒリしつつも痒みは治まるのでばあちゃんを良く利用していた。ばあちゃん掻いて掻いてー。

ばあちゃんはビールに砂糖を入れて飲んでいた。法事や行事で親戚が集まる中、ばあちゃんは他のばあちゃんたちと一緒に端っこの方にちょこんと大人しく座っている。ばあちゃんは

ばあちゃんばあちゃん、たまにしか会えなかったしばあちゃんっ子でもなかったのだが過去が暴走し止まらないことがある。そう言えばここ何日かは特にばあちゃんを思い出すな。今がそういう時なのだろう。
そんな時は思い出しまくることにしている。きっとこういう時の私にとって思い出して懐かしむことに何かあるのだろうから。

今日はビールに砂糖を入れて爆笑しながらばあちゃんと飲む妄想をすることにする。
私の分には入れない。あれまずいんだ。

ぶっちゃけオタクって

先日記事の中で「アキバ系」と書いてみた時にも思ったのだが、「萌え」っていうのももう「なんだかなー」な言葉だと思う(今初めて使ったけど)。ヘタな感じで市民権を得てしまったというか。気のせいだろうか。

「ぶっちゃけ」をキム・タクが流行らせたと同時に使い捨てて廃らせたように、世の中には嫌な感じの手垢にまみれ使いづらい言葉が多い。ブログをやってみて改めてそう感じた。
例えば記事を書いて読み直してみると私自身「なんだかなー」な言葉を使ってしまっていることに気付くことがある(しばらくして直したりもする)。一つの言葉に対しいちいち「なんだかなー」なんて思わない人は思わないまま気にしないのだろうが、ぶっちゃけ私が好きなブログや文章ではそういう「なんだかなー」な言葉は上手い具合に避けられているような気がする。私もそうありたいものだ。

その点「オタク」という言葉は歴史が長いせいもあるのだろうがまだ使いやすい。村上隆の功績とは別の話だろうが。

彼のやってることはウマいとは思うけどそれ以上ではなく、作品自体もコンセプトもそれ程好きじゃない。自分が壊して作った瓦礫の山で遊び続けてる感じというか。日はもう暮れているからとっくにおうちに帰ったかと思いきや暗闇の中瓦礫の上で一人遊んでるシルエットが。「アンタまだ遊んでたの!」、そんな感じだ。


だから帰るおうちすら無さそうな宅八郎の方がまだ好きだ。良く知らないけど。たぶん。

追記

宅八郎氏に関しては後に少し勉強してみた。こちら

FF11

良い歳してこれにハマっている友人がいる。滅多に会わないのだがたまに会うと毎回このゲームの話題になる。先日久し振りに会った時も飲み屋に着くなり「FF11のさあー」と始まり、「まだやっているのか!」とその一途さに驚いた。

いつ発売されたのか知らないが確か発売直後に手に入れ、最初っから仕事と彼女そっちのけでどっぷりだった。会う度に「お前もやろうよー楽しいぞー!」と息子をキャッチボールに誘う鬱陶しい父親のように目を輝かせてくる。
私はそもそもテレビゲームをしないしオンラインゲーム系に関しては特に苦手感がある のでその誘いには乗らないのだが、そんな風に彼が活き活きと話すのを見ているのは実に楽しい。だからついつい煽って話を盛り上げてしまう。
なんと言うか、何かにハマってる人間がその自分のフィールドについて饒舌になるのを見るのは好きだ。私が余りハマるタイプではないからだと思う。

友人はPCを全く使わないし、チャットや掲示板などネットでの人付き合いにも慣れていない。実際見た目もオタク的な要素は無く、おそらくFF11がこの種の経験として初めてだったのだと思う。だから免疫が無かったのだろう、本当に分かりやすく無邪気に「こんー」や「おつー」等の省略系の挨拶や、(私から見ると薄ら寒い類の)顔文字に染まってしまった。可愛らしさ満載の彼からのメールは毎度恐怖だ。

今やゲームのレベルもほぼマックスになり、色んな珍しいアイテムも手に入れ仲間もだいぶ増えたと言う。それを自慢されても全く分からない(し説明された内容も既に覚えていない)。正直なところ止めるべきか煽り続けるべきかそろそろ迷っている。それともいっそのことノった方がいいのだろうか。おつー。


ばあちゃんワズマイン

幼い頃、私には吃音があった。賢かったからだと思う。
直接的な原因は全く些細なことだったのだがどうにも治らずしばらく田舎に預けられることになった。

母親も一緒だったがそこは天国、そこには私の自由があった。世界と人気は私のものだ。
はしゃいだり甘えたりすることが苦手だった筈なのだが順調に増長、じいちゃんやばあちゃんに甘えまくる。泣けば構って貰える、こっそりお菓子も貰える。ねだればオモチャも手に入るし、なんだか良く分からないロボットのプラモデルも何個も買って貰えた。

ばあちゃんとはよくトランプをした。お互いババ抜きしか知らず何度も繰り返した。
幼い私はババ抜きの「ババ」とばあちゃんの「婆」の一致に気付きもの凄い発見をした気になり大喜び、トランプをしながら気が触れたように爆笑しまくっていた。やはり阿呆だったのだろう。
そしてそのテンションのままおもちゃのバットを振り回しばあちゃんの横っ面をクリーンヒット、眼鏡をふっとばし木っ端微塵に。怪我は無かったものの叔父にこっぴどく叱られる。
そこでの唯一の敵はその厳しい叔父だった。恐れてはいたが「叔父の言うことは筋が通っている」と子供ながら理解していた為、上手く愛情表現こそできなかったが好いてはいた。

親戚の子たちとどちらがばあちゃんと寝るかで喧嘩したりしつつ毎日ばあちゃんに甘えまくり、その子らとたまに仲良く遊ぶ時も意味無くばあちゃんの部屋だった。

そんな生活をしている内、吃音はすぐ治った。田舎的な自由な雰囲気の中甘えまくり、泣きまくれたからだと思う。
私としては東京の幼稚園に帰りたくなかったが居る理由が無い以上帰らねばならない。治ってしまったことを後悔した。

その家は今はもう無いが、間取りまでちゃんと覚えている。仏壇の線香の匂いと台所の醤油の焦げる匂い、今でも当時のことをたまに思い出す。