スティルマイン -11ページ目

小学生センス

窓の外、からかうでもなく普通に「おーい、おっぱいち〇こー!!おーい!!」と呼びかける小学生の声。


そんなあだ名を頂いてしまった奴の顔は一目見なければならぬ。
と外を見ようと立ち上がりかけたが急に面倒になってやめた。



温泉想

最近は風呂上がりが気持ち良くない。さっぱりした肌に汗が染み出してくることに耐えられない。
私はあまり汗をかかない体質。汗に慣れない身としては我慢がならぬ。もう一回風呂に入りたくなる。


よってシャワーの季節到来。残念だが仕方ない。

シャワーとなると私のビューティタイムは格段に短くなる。ジャーブワーガシガシジャーーキュ。
ビューティ終了。10分は必要無い。何故か慌ててしまう。つまらない。


風呂に湯を溜めてブハーーと身を沈めることが好きだ。熱い湯をガンガン出し半身浴・半サウナ状態にするのも良い。缶ビール(第2、3のビール)を飲みながら入ってみたり。暑さのあまり飲んだそばからビールがそのまま毛穴から噴出してくるような感覚。汗嫌いでもこの汗は最高だ。最高なおっさん汁だ。


私は風呂好きの温泉好き。少々の金と多過ぎる時間があった頃はしばしば温泉へと繰り出していた。
有名な旅館は高い。しかしはずれにある旅館や交通的に不便な方向にぽつりとある旅館は比較的安く泊まれる。賑やかな温泉街も良いのだがそういう怪しげなところが好きだった。「寂れてるのが逆にイイよね」なんて言いながらもまあ何でも良かったのだ。温泉があって安ければ。


大抵楽しかった、しかし二度と行かないと思った旅館もある。

当時付き合っていた女性と行ったとある旅館の入り口は無茶苦茶だった。傾斜が3、40度ありそうなくらい急な坂道で20メートル程カーブしていた。明らかに無理矢理なデザインだ。敷地内に駐車場があるからそこを通らねばならない。
季節は初冬、雪が降っていた。阿呆な私は何も考えずノーマルタイヤ。雪も柔らかかったのか昇ることはさほど難しくなかった。

問題は帰りだ。
翌日の朝には傾斜がアイスバーンへと進化。彼女を先に歩かせ、道路の凍ってない部分を誘導して貰いながら恐る恐る車で傾斜を下る。
無理に決まってる。
タイヤがスリップし、颯爽と滑り出す車。傾斜の先には川だ、いやその手前に彼女だ。
スーパーテクニックで回避。対向車線に大きくはみ出しながら川沿いに停車する。はっはっは、見たか。見たかじゃない、あれは死ぬかと思った。というより産まれて初めて彼女をひき殺すかと思った。


もっと前に泊まった旅館は夕方現地に着いてからタウンページで調べた。男二人の何の計画も無い貧乏旅行で泊まるところが全く見付からなかったからだ。値段で即決した。
行ってみたら旅館というよりラブホテルの延長線上の香り。小さい部屋。何故かテレビの横には刀が飾られていた。

素泊まりなので食事は出ない。荷物を置き、湖畔にある小さな繁華街へと繰り出す。爆音を響かせる車内で「女の子たち花火に誘っちゃう??声かけちゃう??」なんてテンション上がりながらも地元のオニイサンたちにビビり結局何もせず、つまみと酒を大量に買い込み部屋に戻って泥酔。刀で斬り合って遊んだ。二人だけの楽しい想い出だ。ビデオカメラが無くて良かった。


斬り疲れフラフラになり、ようやく温泉に入ろうと風呂に向かう。

――小さい。
そこにはほぼ我が家な大きさの風呂が。家族風呂しか無いのか。

酔ったノリで肩を寄せ合い、二人で入る。
溢れ出す湯、触れ合う肩。湯気の向こうのアイツ。
これ以上思い出したくない。(※注)


こんな感じで、というよりこんな感じじゃなく、温泉は良い。最近は行く余裕が無い。
寂れた繁華街、場末な人間たち、変わらぬ湯煙のエロス。穢れを毛穴から洗い流し、生まれ変われる錯覚。
飲み過ぎて記憶もおぼろげな翌朝、壊れた腹。なのに何故かいつもより食える朝飯。


 ※もちろんそういったことは何も無かった

三四造スタイル

縄文人の三四造さんが現代へと帰ってきた。
20年間も縄文生活をしていたのか。しかも74歳とは。お元気だ。


「竪穴式住居で寝起きし、木の実や野生動物を食べるなど縄文人さながらの原始生活ぶりが注目を集めていた三重県一志町井関の「縄文人・三四造(みよぞう)」さん(74)が、約二十年に及ぶ古代暮らしから“引退”した。」
「妻や子供の反対を押し切り、田んぼをつぶして退職金で建てた竪穴式住居。近くの川でフナを手づかみにし、山にわなを仕掛けて野ウサギやシカを捕獲。シカの毛皮をなめして衣服を作り、肉はいぶして薫製にした。一年かけてあく抜きしたドングリも食用だ。食事は手製の石包丁と土器で調理し、味付けは一切なし。伸びた髪は石包丁で切り落とした。」(Yahoo!ニュースより引用 )



三四造さんにとって縄文生活はサラリーマン時代に続く「第二の人生」だったという。今後はこれまでの研究成果を記録する「第三の人生」に入るそうだ。
しかし未練もあるようで、同ニュースによると「84歳まで作業を続けて、その後はまた縄文人に戻るかも」と言っているそうな。

「第四の人生」もあるのか。すげえ。私は84歳からの人生を考えたことがなかった。


この姿勢は是非見習うべきだな。人生を幾つかの時代に分けると充実度が違うように思える。一つのリタイヤなんて関係無くなる。終わりは次の時代のオープニングだ。色んな始まりがある人生。素敵ではないか。私も今後は三四造スタイルで生きて行くことにしよう。


まずはとっくに辞めているであろう「スティルマイン」を84歳から再開することをここに誓う。

同じ内容の記事を繰り返し何度もアップしてしまっても優しく見守って頂きたい。


壊れた大人

今に始まったことではないのだろうが、良い歳の人間が子供に対し想像を超える阿呆なことをしでかす事件が多い。
大人って大したもんじゃない、壊れた人間だっている。それは当然のことだ。
私が初めて壊れた大人を見たのは小学3年生位の時だ。


その頃私の家族と近所の家族とで群れながらデパートに行くことがあった。休日のレジャー感覚だったのだと思う。安上がりだが楽しかった。
親が買い物をしている間子供たちは別行動をする。おもちゃ売り場や屋上、ペットショップ、小さいゲームセンター。デパート内を駆けずり回っていた。迷惑だったと思う。


そのデパートには子供向けの遊戯スペースがあった。中央には小さなすべり台などのアトラクションがあり、靴を脱いで伸び伸び遊ぶことができる。
私たちはそこではしゃげる程幼くはなかったのでこの場所を主に休憩に使っていた。自販で買ったヤクルトを飲みながら、遊ぶ子供たちを大人な感情で眺めていた。
そう、少し悲しかった覚えがある。私はもう大きいんだ、ココでは遊ばないんだ。そんな感覚だ。


その日もデパート内で一通り遊んだ後、近所の子供たちと並んでヤクルトをチューチューしていた。
すると2、3歳の幼児二人がケンカをし始める。
幼い子供同士のありふれた些細なケンカだ。すべり台を取り合う程度の。微笑ましいもんだ。


ポカ。
お、殴った。


ギャー、殴られた方はやり返さずに泣き出す。ここで試合終了か。

と思いきや慌てて泣き出した方の父親が駆け寄って来た。
その父親は泣き止まない自分の子を抱き、相手の子を睨む。シーンとする遊技場。
そして次の瞬間、その子の胸を力任せにどーんと突き飛ばした。

吹っ飛んだ子供、ギャーと泣き出す。そら泣く。

その父親は自分の子を抱いてそのまま立ち去ってしまった。楽しい空間を非日常へと突き飛ばしたまま。


突き飛ばされた子の親がどう行動したのか、周りの大人がどう動いたのか、そのあたりの記憶はない。ただ目の前で繰り広げられたスペクタクルに私たちはヤクルトを飲む手が止まったまま立ち尽くしていた、と思う。

私自身も親に殴られることはあったがそれとは全く違う。この父親の暴力は明らかに憎しみから来る暴力だった。一瞬静かに子供を睨み、思考した結果の突き。思わず手が出た、というものではなかった。しかも対象はまだまだ幼い他人の子供だ。


この事件を私は親に黙っていた。他の子供たちもそうだったかもしれない。
もの凄いショックだったというのもあるが、このことを話すと親をも傷つけてしまうように思えたからだ。

大人は大人だから、大きい存在だ。赤ちゃんはもちろんのこと、子供たちを守る存在だ。
しかし私たちが見た光景は子供が抱く大人像を完全に覆すものだった。この父親のことを親たちに話すと彼らもまた「大人の仲間」として傷つくと思った。だから言えなかった。


随分昔のことであるしその前後の記憶は不確かであるが、あの父親の表情、眼鏡の奥の冷たい眼差しはおそらく一生忘れられない。


その後この父親はどう子育てをしたのだろう。
自分は幼児を殴った最低な人間だということを今でも覚えているだろうか。


恋愛/マリッジ

十代の頃は人から「カノジョのドコが好き?」なんて聞かれる度に憤っていた。
何処が好きってお前。いちいち挙げられる訳なかろう。「~なところが好き」と言ってしまったら「もし~じゃなかったら好きじゃない」と言っているようなものではないか。
そもそも「カノジョ(語尾上がり)」てお前。

なんて思っていたものだ。


人間が人間を好きになる。当然のことではあるが、いざ自分のこととなると恋人との関係を言葉にすることが怖かった。存在を言葉にしたくなかった。
言葉に当てはめる怖さ。安っぽいイメージに自分と恋人を置く嫌悪感。二人の間だけにある、ささやかで大切なフィーリンが消えてしまうような。


しかし実のところこの恐怖感とは「私のこの特別な感情は言葉で表せてしまうありふれたものなのではないか」という感覚だったと思う。
言葉にすると安くなる思い、安くなる存在。言葉にできない感情。もしかしたらそんなものは無いのかもしれない。言葉こそが思いの始まりなのかもしれない。「言葉にできない思い」とは、「言葉にしたくない思い」でしかないのかもしれない。

最近はそんな風にも思う。どちらが正しいというものではないだろうけども。


こんな私にとっては結婚なんて更なる混乱を招くもので、これまで現実としては考えられなかった。
夫婦てお前。どんな二人だそれは。


しかしまた一人、私の友人が結婚した。当たり前のように。
友人たちがどんどん夫や妻になっていく。なんか人口が増えたりもしてる。

同世代の人間が結婚する度に私は恐くなる。結婚を当然の選択と考える年代になってしまっている自分を改めて思い知らされるから。


しかし私は私だ。
くそう、遊びまくってやる。
いいだろう、私は遊ぶ。お前らは落ち着いたんだ。もう遊んでやんないからな。




友人へ


お前何時の間に大人になったんだ。こないだまで私と一緒にハナ垂らしながらねりけし練ってたではないか。
こんちくしょう。どいつもこいつも大人になりやがって。おめでとう。


                                               必死でねりけしを練りつつ
                                                                 マイン

ハチロック

以前私は「村上隆より宅八郎が好きだ」と書いた 。イメージからの無責任な発言だったが本心であることに嘘はない。


彼は体現する。それは表現、操作とは異なる。
彼はパフォーマーだ。理論武装したり安全な場所から攻撃なんかしない。彼は常に自分が生み出した闘争の中心に居る。
もはや彼自身がアート、作品だと言ってよい(言わなくてもよい)。90年代初頭「オタク」をカリカチュアライズした「宅八郎」としてメディアデビューを果たし、十数年経った今の彼は「宅八郎」自身をカリカチュアライズしているようにも思える。それは進化を意味する、筈だ。

今も彼はエッジの効いた場所で活動している。もちろんその手にはマジックハンドだ。持っている筈だ。
彼は今も闘っている。その闘争が生きるフィールドを生む。



付記

宅氏は今「ハチロック」というバンドで活躍しているらしい。そのあたりの情報も彼の公式HPにある。キーボードの子がかわいい。


付記2

HPにある掲示板で、転職を希望されている34歳の方を「がんばりましょうよ!」と励ます宅氏。それを読む私の元にも心地良い風が流れてきた。気がする。



追記

「最近の宅八郎は何を?」と思った方は「探偵ファイル」 というアミューズメント・サイトにある「あぶない探偵」のコーナー(過去記事)を是非。彼は朝鮮半島へ向かう。手にはマジックハンドだ。


追記2

宅氏の公式HP、「宅八郎の復讐山脈」は検索して探して頂きたい。すぐ見付かる筈だ。リンクを貼ることに恐怖したのは初めてだ。


追記3

Googleで思わずひらがなのまま「たくはちろう」と検索したら「もしかして:宅八郎」と導いてくれた。すげえ。


バンクシー・2 疑問

バンクシーが又やったか。(3月29日の記事参照


「今年3月、メトロポリタン美術館などニューヨークの4つの美術館に自作を勝手に展示した英国人画家「バンクシー」が、今度は、大英博物館に、古代人がスーパーマーケットのカートを押しているニセモノ壁画をこっそり展示した。」(「」内ヤフーニュースより引用)


今回は壁画ということでやはりバンクシーのフィールドか。
それにしてももう良いだろう、と思うのは私だけか?それとももう愛さねばならないのか?
そろそろ本格的に叩かれるのか?まだいけるのか?
よっぽど権威が好きなのだろうか。それとも単に味をしめただけか。両方か。

同記事によるとバンクシーは「芸術テロリスト」と呼ばれているらしいがその平和な香りはなんとかならないのだろうか。


「「芸術テロリスト」と呼ばれる「バンクシー」の事務所は本紙に対し、「大英博物館が私の作品を常設展示すれば、壁画の面白さがわかってもらえるはず」と本人の声明を伝えた。」


阿呆か。逮捕はまだか?

万歩計

右半身が麻痺しているご老人がいた。ここでは木内さんと呼ぶ。
木内さんはおそらく脳梗塞を患ったのだと思う。常に右足に重そうな器具を付け、杖を突き一歩一歩歩いていた。
近所のスーパーでも一人買い物をしている姿をたまに見掛けた。商品を持つのも、財布から小銭を出すのも大変な苦労だった筈だ。
しかし人の手を借りることは滅多に無かった。助けを拒否することの方が多かった。

お会いする度に万歩計を見せてくれた。一年間に歩いた歩数を計算しているのだと言う。
歩幅を50センチとして、それを歩数で掛けると歩いた距離が計算できる。その距離を元にして空想の旅をする。
自分の家を出発し、観光地を経由しながら北を、南を目指していた。地図を眺めるのが好きだった。
「1月から歩いて今は大体小田原あたりですかね!」と照れながら笑う木内さん。タクシーなんか使わなかった。いつも歩いていた。

昨年は何処まで歩いたと言っていたっけ。確か北へ向かい、随分遠くまで歩いた筈だ。
それを誇らしげに語ってくれた。「これまでで一番遠いところまで歩いたんですよ!」そう仰る木内さんの喜び様に私まで嬉しくなった。観光地に辿り着き一息ついている木内さんの姿を空想した。

しかし心底無邪気になれる訳はない。
私の前で無邪気に振舞って下さるのも木内さんの意志の現れだった筈だ。

喫茶店で酒の匂いをプンプンさせながらしかめっ面をしていて話し掛けられない時もしばしばあった。そういう時は優しげな普段からは想像もできない程恐いオーラを出している。
近寄ることすらできなかった。


病気とはなんて理不尽なものなのだろう。
その理不尽さと向かい合い、打ち勝とうとしてもいつも勝てる相手ではないだろう。
他人の助けを借りずに一人で生きるという強い意志を持ちつつも挫けそうになってしまう時や感情をコントロールし切れない時も多くあった筈だ。
酒に酔い、据わった目をしながらただ壁を睨みつける木内さんはどのような思いを抱いていたのだろうか。簡単に人には言えない、そして言いたくない悔しさやもどかしさ、色々な思いがあったに違いない。


それでも木内さんのベルトにはいつも万歩計があった。この機械が一番木内さんの努力を知っていただろう。

一歩一歩確認しながら歩き続ける木内さん、酒でフラフラになりながらも歩き続ける木内さん。
木内さんが歩き続けること、それ自体が一つの大きな意志だった。木内さんには日々の挫折や敗北をも貫く尊い意志を教えて頂いた気がする。



木内さんが亡くなった。
つい最近お会いしたと思ったのに、呆気なく死んでしまった。
体と器具から自由になり木内さんの意志が安らいでいるといい。
生きている人間の身勝手さかもしれないがそう思う。

男子

友人と酒を飲みに行った。友人と言っても彼は60代後半、私より随分年上なのだが妙な縁があり可愛がって頂いている。
彼は優秀なビジネスマンだった。貧しいまま身一つで上京、キャリアを重ね大手企業の中で成り上がる。支店を任され長い間海外で生活していたのだが事情により退社せざるを得なくなった。ここ数年は「引退した身」として都内で生活している。

彼と飲むのは昼から3時頃迄。いつも同じ店で、落ち着いた高級蕎麦屋と決まっている。
しかし二人とも蕎麦を頼んだことが無い。ひたすらに飲みまくる。店に申し訳ないと思いつつも漬物をかじり、酒ばかりおかわりする。蕎麦屋である必要は全く無いのだがご馳走になる身としては店を変えることもできない。

店に入ると「おうーこっちこっち」といつも同じ席で私を待っている。待ち合わせの5分前には到着するように心掛けているのだが彼より早く到着したことがない。

いつも上品なジャケットを着、髪をピシっと整え私を迎えてくれる。格好良い。

世代も違うし重なる関心も少ないのだが、彼との酒は毎度楽しい。
飲み始めは大抵私の話から始まる。「どや最近は・・・」ニヤリと聞いてくる。「自分は引退した身だ」と言いつつも変わらず眼光は鋭い。
背筋を伸ばしつつ、私の近況や関心ごとを話す。

ほろ酔いレベルになると今度は私が聞き役になる。彼のビジネス論、経済論が始まる。
難しく、正直理解し切れない。ただかつて彼が手がけていたビジネスの規模は想像すらできない程大きく、具体例として提示される彼の経験談には毎度毎度驚かされる。

酔っ払いレベルになり、ようやくお互いくだける。
彼の学生時代の思い出話や母親、父親の話、愚痴。そして説教。
彼が質問してきたのに答えると何故か怒られたりする。

「ええかー、男子(おのこ)っていうんは言い訳をしないもんやー」
「いや、しかし私は聞かれたからこう答えた訳であって・・・」
「それが言い訳なんと違うかー?」
「いやだから・・・・・・す、すいません・・・。」

実に楽しい。私は彼の「男子論」が大好きだ。
だから私からも良く聞いてみる。これは男子としてどうなんですかね?あいつは男子として合ってるのかなあ・・・。
すると、よっしゃ教えたろ、男子ってのはなあー・・・と鋭さが消えた優しい目で語ってくれる。


帰る頃にはもう泥酔に近い。
今日は飲み過ぎたかな・・・と思いつつ店を出る。
いやー楽しかったわーまた飲もなー、いえいえこちらこそご馳走様でした、楽しかったです――

寂しそうに帰る私の友人。ここ最近元気が無い。冗談ぽく、生きてても楽しいこと無いんだわーとも語っていた。
男子として俺は合っていたのか分からん、ビジネスなんかじゃない男子一生の仕事ってなんやろう、何も残さぬまま死ぬんは男子としてどうなんやろか・・・
今も「男子たる自分」と闘い続けている彼にはまだまだ「男子」を教えて貰わねばならないと思う。


ニコニコ

田舎に住んでいる親戚の家族に四歳位(正確には知らない)の男の子がいる。とても甘やかされており、やんちゃでしょうがない。
法事などでたまに会うのだが、どんどん大きくなり会う度その成長の早さに驚かされる。ついこないだまで歩いてなかったのに。産まれたのだって最近ではないか。

法事の席でも暴れたい放題。親は親で強く叱らないし親戚のじいちゃんばあちゃんたちも可愛くてしょうがないから何も言わない。
読経に合わせて歌ったりする。数珠をじゃらじゃらする。走り回る。ポクポク中の木魚を触る。いかんいかん。
そこで私が「シー!」とする。
すると子供に「シー!」とし返される。
このやろう。ニコニコするな。捕まえようと手を伸ばすとすり抜けばあちゃんたちの間に逃げる。「メッ!」と怖い顔を作り睨みつける・・・私は怒っているんだ、こっちをニコニコ見るな。

「ダメじゃないか、大人しくしなければ」
「ボク良い子にしてたよ?」
よ?じゃない。皆静かにしてる時に走ったりするのは良い子じゃないだろう。アメやるから大人しくしとけ。

こいつはその家で完全に自分の地位を確立している。どこまでが許され、どこからが怒られるのかちゃんと分かっている。皆から愛されていることを十二分に理解している。憎たらしい。
このままではいかんだろう。教育せねば。

そう思い一緒に遊び、一緒に風呂に入り、並んでテレビを見る。

帰る時寂しくなった。
可愛い過ぎる。叱ってる最中もニコニコが移ってしまう。

父親気分を味合わせてくれてありがとう、やっぱ騙されてる気がする。