死想 | スティルマイン

死想

幼い頃、じいちゃんが死んだ。家族や親戚がバタつく中、ジャマにしかならない私は別の親戚の家に預けられることになった。
そこの家族との夕飯時、人見知りがひっくり返った私は「じいちゃんが死んでもボクは全然平気だよ!」と高らかに宣言した。マインちゃんは強いねとその家族から褒められ、私は誇らしかった。

実際、じいちゃんが一人死んでも「まだもう一人いる、まだいける」と幼い私は判断し、悲しくはなかった。
やはり阿呆だったのだと思う。しかし子どもはそんなもんかもしれんとも思う。


火葬場で周りにつられた私は結局ギャン泣きした。じいちゃんが焼かれるという衝撃的な事実を初めて理解し、悲しいことなのだと学習した瞬間だったかもしれない。
母親に抱かれ泣きながらじいちゃんの骨をお箸で突き、「この骨は足?」と母親に聞いた。母親は「うん、多分」と答えた。



私は自分の葬式を良く想像する子どもだった。甘美な妄想だ。
ボクの葬式には誰が居るだろうか。ヒロシ(友人、仮名)は居るんじゃないか。泣いているだろう。健介(友人、本名、薄情)は居ないだろう。

でも、お母さんは絶対居るだろう。ボクが死んだことを悲しんでいるに違いない。

――お母さん、マイン(仮名)は幸せでした。先に死んでごめんなさい――


何を思ったのか小5か小6の夏休みの宿題でそんな内容の絵日記を書き、心配したであろう担任の先生は私の母親に手紙を書いたそうな。
その時母親は何も言わなかったが、私が大人になったある日「子どもの頃のあんたはなんで死をそんなに」といったことを言った。
その頃の作文で「UFOよ、ボクを宇宙へ連れて行ってください。地球はうんざりだ」といったことをUFOのイラスト(アダムスキー型)入りで書き、添削さ れ返ってきた作文を見てもやはり母親は何も言わなかった。私だったらポケモンでも買い与えるところだ。当時の私が何を考えていたのか分からないが、人の死 はUFO(UFOは人をさらいます)に近いと思っていたのかもしれない。


最近の私は相変わらず「UFOよ、ボクを宇宙へ連れて行ってください」と密かに思っている。親になるという良く分からない事態から有耶無耶に逃げて来た私だがしかし、最近は母親のような親になっても良いとも思い始めている。

――まだ見ぬ我が子よ、どんどんUFOに連れて行かれたまえ。きっとお前も地球はうんざりだろう。

だから私は、いつか父親になってみようと思う。母親になりたい女性がいたら、どうか元気良く手をあげて欲しい。